・・・が、それにも関らず、靴の踵を机の縁へ当てると、ほとんど輪転椅子の上に仰向けになって、紙切小刀も使わずに封を切った。「拝啓、貴下の夫人が貞操を守られざるは、再三御忠告……貴下が今日に至るまで、何等断乎たる処置に出でられざるは……されば夫人・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・清八は得たりと勇みをなしつつ、圜揚げ(圜トハ鳥ノ肝ヲ云の小刀を隻手に引抜き、重玄を刺さんと飛びかかりしに、上様には柳瀬、何をすると御意あり。清八はこの御意をも恐れず、御鷹の獲物はかかり次第、圜を揚げねばなりませぬと、なおも重玄を刺さんとせし・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛られている、――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐から出していたか、きらりと小刀を引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断してい・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・て、このくらいなことで半日でも客を断るということがありますか、死んだ浮舟なんざ、手拭で汗を拭く度に肉が殺げて目に見えて手足が細くなった、それさえ我儘をさしちゃあおきませなんだ、貴女は御全盛のお庇に、と小刀針で自分が使う新造にまでかかることを・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 為業は狂人です、狂人は御覧のごとく、浅間しい人間の区々たる一個の私です。 が、鍵は宇宙が奪いました、これは永遠に捜せますまい。発見せますまい、決して帰らない、戻りますまい。 小刀をお持ちの方は革鞄をお破り下さい。力ある方は口を・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 藍の長上下、黄の熨斗目、小刀をたしなみ、持扇で、舞台で名のった――脊の低い、肩の四角な、堅くなったか、癇のせいか、首のやや傾いだアドである。「――某が屋敷に、当年はじめて、何とも知れぬくさびらが生えた――ひたもの取って捨つれど・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・お父さんは小刀でかにの足を切りました。そして、みんなが堅い皮を破って、肉を食べようとしますと、そのかには、まったく見かけによらず、中には肉もなんにも入っていずに、からっぽになっているやせたかにでありました。「こんな、かにがあるだろうか?・・・ 小川未明 「大きなかに」
・・・ こういって、小刀で鉛筆を削りはじめました。しんが、やわらかいとみえて、じきに折れてしまうのです。「こんな鉛筆で、なにが書けるもんか。」 次郎さんは、かんしゃくを起こして、女中を呼びました。「きよ、なんでこんな鉛筆を買ってき・・・ 小川未明 「気にいらない鉛筆」
・・・「わたし、お父さんからもらった小刀をあげるから、にがしておやり。」と、光子さんはいいました。「ほんとうにくれる。じゃ、にがしてやるよ。」 子ちょうは、あやういところをたすかりました。 お家へかえって、そのことを、母ちょうには・・・ 小川未明 「花とあかり」
・・・煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
出典:青空文庫