・・・僕はそこで一杯の酒を持ちあつかいながら、赤木に大倉喜八郎と云う男が作った小唄の話をしてやった。何がどうとかしてござりんすと云う、大へんな小唄である。文句も話した時は覚えていたが、もうすっかり忘れてしまった。赤木は、これも二三杯の酒で赤くなっ・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・傘を拡げて大きく肩にかけたのが、伊達に行届いた姿見よがしに、大薩摩で押して行くと、すぼめて、軽く手に提げたのは、しょんぼり濡れたも好いものを、と小唄で澄まして来る。皆足どりの、忙しそうに見えないのが、水を打った花道で、何となく春らしい。・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・おはまは真に苦も荷もない声で小唄をうたいつつ台所に働いている。兄夫婦や満蔵はほとんど、活きた器械のごとく、秩序正しく動いている。省作の目には、太陽の光が寸一寸と歩を進めて動く意味と、ほとんど同じようにその調子に合わせて、家の人たちが働いてる・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・聡明な眼識を持っていたがやはり江戸作者の系統を引いてシャレや小唄の粋を拾って練りに練り上げた文章上の「穿ち」を得意とし、世間に通用しない「独りよがり」が世間に認められないのを不満としつつも、誰にも理解されないのをかえって得意がる気味があった・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・かった伊助が、横領されやしないかとひやひやしてきた寺田屋がはっきり自分のものになった今、はじめて浄瑠璃を習いたいというその気持に、登勢は胸が温まり、お習いやす、お習いやす…… 伊助の浄瑠璃は吃りの小唄ほどではなかったが、下手ではなかった・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 独房小唄「……私この前ドストイエフスキーの『死の家の記録』を読んでから、そんな所で長い/\暗い獄舎の生活をしている兄さんが色々に想像され、眠ることも出来ず、本当に読まなければよかったと思っています。」「でも、面・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・俺は、君よりも優越している人間だし、君は君もいうように『ひかれ者の小唄』で生きているのだし、僕はもっと正しい欲求で生きている。君の文学とかいうものが、どんなに巧妙なものだか知らないが、タカが知れているではないか。君の文学は、猿面冠者のお道化・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・という意味とやらの小唄を教えて下さったり、星のお話をしたり、即興の詩を作ってみせたり、ステッキついて、唾をピュッピュッ出し出し、あのパチクリをやりながら一緒に歩いて下さった、よいお父さん。黙って星を仰いでいると、お父さんのこと、はっきり思い・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・敗北の歌 曳かれものの小唄という言葉がある。痩馬に乗せられ刑場へ曳かれて行く死刑囚が、それでも自分のおちぶれを見せまいと、いかにも気楽そうに馬上で低吟する小唄の謂いであって、ばかばかしい負け惜しみを嘲う言葉のようであるが、文・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・この一篇で、幽閉された女中等が泣いたり読経したりする中に小唄を歌うのや化物のまねをして人をおどすのがあったりするのも面白い。その外にも、例えば「人の刃物を出しおくれ」「仕もせぬ事を隠しそこなひ」のような諸篇にも人間の機微な心理の描写が出てい・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
出典:青空文庫