・・・舟はするする滑って、そのまま小島の陰の暗闇に吸い込まれて行った。トトサン、御無事デ、エエ、マタア、カカサンモ。勝治の酔いどれた歌声が聞えた。 節子と有原は、ならんで水面を見つめていた。「また兄さんに、だまされたような気が致します。七・・・ 太宰治 「花火」
・・・In a word 久保田万太郎か小島政二郎か、誰かの文章の中でたしかに読んだことがあるような気がするのだけれども、あるいは、これは私の思いちがいかも知れない。芥川龍之介が、論戦中によく「つまり?」という問を連発して論敵をな・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・この半島も向かいの小島もゴシック建築のようにとがり立った岩山である。草一本の緑も見えないようである。やや平坦なほうの内地は一面に暑そうな靄のようなものが立ちこめて、その奥に波のように起伏した砂漠があるらしい。この気味のわるい靄の中からいろい・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・たとえば妙な紅炎が変にとがった太陽の縁に突出しているところなどは「離れ小島の椰子の木」とでも言いたかった。 科学の通俗化という事の奨励されるのは誠に結構な事であるが、こういうふうに堕落してまで通俗化されなければならないだろうかと思ってみ・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・池のほうへでも行ってみましょうと言う。それもそうだとそっちへ向く。 崖をおりかかると下から大学生が二三人、黄色い声でアリストートルがどうしたとかいうような事を議論しながら上って来る。池の小島の東屋に、三十ぐらいのめがねをかけた品のいい細・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・明治四十一年に帰朝した当時浮世絵を鑑賞する人はなお稀であった。小島烏水氏はたしか米国におられたので、日本では宮武外骨氏を以てこの道の先知者となすべきであろう。東京市中の古本屋が聯合して即売会を開催したのも、たしか、明治四十二、三年の頃からで・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・終りに宗祖その人の人格について見ても、かの日蓮上人が意気冲天、他宗を罵倒し、北条氏を目して、小島の主らが云々と壮語せしに比べて、吉水一門の奇禍に連り北国の隅に流されながら、もし我配所に赴かずんば何によりてか辺鄙の群類を化せんといって、法を見・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・太平洋に面した海岸の巖石が、地質の関係で、亀甲形や菊皿のような形に一面並んでいる、先に南洋の檳榔樹、蘭科植物などが繁茂した小島が在る。その巖の特殊な現象と、その小島に限って南洋植物が生育しているのとが、青島を著名にしているのだが、私共は大し・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・随筆が流行し、「小島の春」がひろく読まれ、一方では生産文学や、開拓文学が出現しはじめた時期であった。 文学に人間らしさを探ねる本来の欲求は、それら、一つ一つの扉をたたき、しかも、何かみたされない心の郷愁を、子供の世界に憩わせようとしたと・・・ 宮本百合子 「子供の世界」
・・・夥しい良書悪書の氾濫にもかかわらず、女性の著作のしめている場所は、狭く小さく消極的で、波間にやっと頭を出している地味の貧しい小島を思わせる。やっと、やっと、絶え絶えの声を保って来ているのである。 そして、なお興味のあることは、おや、すこ・・・ 宮本百合子 「女性の書く本」
出典:青空文庫