・・・ 譚は何か思い出したように少時口を噤んだまま、薄笑いばかり浮かべていた。が、やがて巻煙草を投げると、真面目にこう言う相談をしかけた。「嶽麓には湘南工業学校と言う学校も一つあるんだがね、そいつをまっ先に参観しようじゃないか?」「う・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・少時学語苦難円 唯道工夫半未全到老始知非力取 三分人事七分天 趙甌北の「論詩」の七絶はこの間の消息を伝えたものであろう。芸術は妙に底の知れない凄みを帯びているものである。我我も金を欲しがらなければ、又名聞を好まなければ、・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 少時の後茶店を出て来しなに、巻煙草を耳に挟んだ男は、トロッコの側にいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平は冷淡に「難有う」と云った。が、直に冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つ・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・ 僕等は少時待った後、護国寺前行の電車に乗った。電車は割り合いにこまなかった。K君は外套の襟を立てたまま、この頃先生の短尺を一枚やっと手に入れた話などをしていた。 すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちて・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・ 岩端や、ここにも一人、と、納涼台に掛けたように、其処に居て、さして来る汐を視めて少時経った。 下 水の面とすれすれに、むらむらと動くものあり。何か影のように浮いて行く。……はじめは蘆の葉に縋った蟹が映って、・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 此処にまた立留って、少時猶予っていたのである。 木格子の中に硝子戸を入れた店の、仕事の道具は見透いたが、弟子の前垂も見えず、主人の平吉が半纏も見えぬ。 羽織の袖口両方が、胸にぐいと上るように両腕を組むと、身体に勢を入れて、つか・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・その消えた後も、人の目の幻に、船の帆は少時その萌黄の油を塗った。……「畳で言いますと」――話し手の若い人は見まわしたが、作者の住居にはあいにく八畳以上の座敷がない。「そうですね、三十畳、いやもっと五十畳、あるいはそれ以上かも知れなかったので・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・チチッ、チチッと少時捜して、パッと枇杷の樹へ飛んで帰ると、そのあとで、密と頭を半分出してきょろきょろと見ながら、嬉しそうに、羽を揺って後から颯と飛んで行く。……惟うに、人の子のするかくれんぼである。 さて、こうたわいもない事を言っている・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・だが、馬琴が少時栗山に学んだという事は『戯作者六家撰』に見えてるが、いつ頃の事かハッキリしない。医を志したというは自分でも書いてるが、儒を志したというは余り聞かない。真否は頗る疑わしいが、とにかく馬琴の愛読者たる士流の間にはソンナ説があった・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ たとえ、其の人の事業は、年をとってから完成するものだとはいうものゝ、すでに、其の少時に於て、犯し難き片鱗の閃きを見せているものです。若くして死んだ、詩人や、革命家は、その年としては、不足のないまで、何等か人生のために足跡を残していまし・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
出典:青空文庫