・・・場主までわざわざ函館からやって来た。屋台店や見世物小屋がかかって、祭礼に通有な香のむしむしする間を着飾った娘たちが、刺戟の強い色を振播いて歩いた。 競馬場の埒の周囲は人垣で埋った。三、四軒の農場の主人たちは決勝点の所に一段高く桟敷をしつ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 三年と五年の中にはめきめきと身上を仕出しまして、家は建て増します、座敷は拵えます、通庭の両方には入込でお客が一杯という勢、とうとう蔵の二戸前も拵えて、初はほんのもう屋台店で渋茶を汲出しておりましたのが俄分限。 七年目に一度顔を見せ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 河岸倉の庇の下に屋台店が出ている。竹輪に浅蜊貝といったような物を種にして、大阪風の切鮨を売っている。一銭に四片というのを、私は六片食って、何の足しにということはなしに二銭銅貨で五厘の剰銭を取った。そんなものの五片や六片で、今朝からの空・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・夕方、蝶子が出掛けて行くと、柳吉はそわそわと店を早仕舞いして、二ツ井戸の市場の中にある屋台店でかやく飯とおこぜの赤出しを食い、烏貝の酢味噌で酒を飲み、六十五銭の勘定払って安いもんやなと、カフェ「一番」でビールやフルーツをとり、肩入れをしてい・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・青森駅前の屋台店で、支那そば一ぱい食べたきりで、そのまま私は上野行の汽車に乗り、ふるさとの誰とも逢わず、まっすぐに東京へ帰ってしまったのだ。十年間、ちらと、たった一度だけ見たふるさとは、私にこんなに、つらかった。いまは、何やら苦しみに呆け、・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・立ちん棒もいたしました。屋台店もひらきました。ミルクホールのようなものもやってみました。けしからぬ写真や絵を売って歩いた事もございました。インチキ新聞の記者になったり、暴力団の走り使いになったり、とにかく、ダメな男に出来る仕事の全部をやった・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・けんと固く決意仕り、ひとり首肯してその夜の稽古は打止めに致し、帰途は鳴瀬医院に立寄って耳の診察を乞い、鼓膜は別に何ともなっていませんとの診断を得てほっと致し、さらに勇気百倍、阿佐ヶ谷の省線踏切の傍なる屋台店にずいとはいり申候。酒不足の折柄、・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・小屋のすぐ前に屋台店のようなものが出来ていて、それによごれた叺を並べ、馬の餌にするような芋の切れ端しや、砂埃に色の変った駄菓子が少しばかり、ビール罎の口のとれたのに夏菊などさしたのが一方に立ててある。店の軒には、青や赤の短冊に、歌か俳句か書・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・だんだん見物人が多くなって、わざわざ遠方から汽車で見物に来る人さえできたので、おしまいにはそれを相手の屋台店が出たりした。これに関する新聞記事はおりからの陸軍大演習のそれと相交錯して天下の耳目をそばだたせた。宗教も道徳も哲学も科学も法律もみ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・盛に油の臭気を放っている屋台店の後には、円タクが列をなして帰りの客を待っている。 ふと見れば、乗合自動車が駐る知らせの柱も立っているので、わたくしは紫色の灯をつけた車の来るのを待って、それに乗ると、来る人はあってもまだ帰る人の少い時間と・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫