・・・昨夜、軒端に干して置いたおむつも凍り、庭には霜が降りている。山茶花が凛と咲いている。静かだ。太平洋でいま戦争がはじまっているのに、と不思議な気がした。日本の国の有難さが身にしみた。 井戸端へ出て顔を洗い、それから園子のおむつの洗濯にとり・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・舟を浮べたいくらい綺麗だ。山茶花の花びらは、桜貝。音たてて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことしはじめて驚いている。何もかも、なつかしいのだ。煙草一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。まさか、本当には泣かない・・・ 太宰治 「新郎」
・・・ 十一月のはじめ、庭の山茶花が咲きはじめた頃であった。その朝、僕は、静子夫人から手紙をもらった。 ――耳が聞えなくなりました。悪いお酒をたくさん飲んで、中耳炎を起したのです。お医者に見せましたけれども、もう手遅れだそうです。薬缶のお・・・ 太宰治 「水仙」
・・・ “Nevermore” 空の蒼く晴れた日ならば、ねこはどこからかやって来て、庭の山茶花のしたで居眠りしている。洋画をかいている友人は、ペルシャでないか、と私に聞いた。私は、すてねこだろう、と答えて置いた。ねこは誰にもなつかなかった・・・ 太宰治 「葉」
一 庭の山茶花も散りかけた頃である。震災後家を挙げて阪地に去られた小山内君がぷらとん社の主人を伴い、倶に上京してわたしの家を訪われた。両君の来意は近年徒に拙を養うにのみ力めているわたしを激励して、小説に・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・この家の庭に山茶花はあるが梅はありません。門を入ったところには、それでも赤松が一本あるの。私は、ホラ先動坂の家へ咲枝[自注3]が持って来てたべた虎やの赤い色のお菓子、ああいう系統の色の紅梅がすきです。ほんとにどんな梅が入ったかしら。白いにし・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・庭が五坪ばかりあって、椿の蕾がふくらんで、赤い山茶花が今咲いています。その一枝をとって来て、例によって机の上におき、それを眺めて眼をやすませながら、これからバルザックについての感想をかくところです。 ゴーゴリ全集やバルザック全集からこの・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・私の机の上には中学生じみた馬の首のついた文鎮と庭の山茶花の花とあり。来年一杯以上かかる長い旅に踏み出したような宏子という若い女に勇気とよきタイプを祝って下さい。では又。〔欄外に〕○毛糸の足袋下はハイラないのでしょうか。去年はそっちで・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・色がない写真だけれど、いかにも田舎の町の大通り、パリへ続く郊外の大通りの落葉した時節の明るさ、冬のやわらかい陽の明るさ、が雰囲気によく出ていて、傍に插した山茶花の花とよく似合います。この次もう一枚出来たらお送りします。山茶花といえば大抵ほん・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 今まで塵ぼっけだった職人の腹掛も雨に打たれて香おやかな紺の色になって赤っぽい紅葉や山茶花の間を通る時に腹掛ばかりが美くしい。 しめった土を白い二本緒の草履がかけて通る。 顔は見ないに限る。「ごみ」の中に見えなくなった針を二・・・ 宮本百合子 「通り雨」
出典:青空文庫