・・・倶知安からK村に通う国道はマッカリヌプリの山裾の椴松帯の間を縫っていた。彼れは馬力の上に安座をかいて瓶から口うつしにビールを煽りながら濁歌をこだまにひびかせて行った。幾抱えもある椴松は羊歯の中から真直に天を突いて、僅かに覗かれる空には昼月が・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端から、山裾の浅い谿に、小流の畝々と、次第高に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公、弁財天、鬼子母神、七面大明神、妙見宮、寺々に祭った神仏を、日課・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・その反対の、山裾の窪に当る、石段の左の端に、べたりと附着いて、溝鼠が這上ったように、ぼろを膚に、笠も被らず、一本杖の細いのに、しがみつくように縋った。杖の尖が、肩を抽いて、頭の上へ突出ている、うしろ向のその肩が、びくびくと、震え、震え、脊丈・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・か、嬉しゅうござんす、お妻の胸元を刺貫き――洋刀か――はてな、そこまでは聞いておかない――返す刀で、峨々たる巌石を背に、十文字の立ち腹を掻切って、大蘇芳年の筆の冴を見よ、描く処の錦絵のごとく、黒髪山の山裾に血を流そうとしたのであった。が、仏・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・世に知られたこの武生の中でも、その随一の旅館の娘で、二十六の年に、その頃の近国の知事の妾になりました……妾とこそ言え、情深く、優いのを、昔の国主の貴婦人、簾中のように称えられたのが名にしおう中の河内の山裾なる虎杖の里に、寂しく山家住居をして・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・遠くは山裾にかくれてた茅屋にも、咲昇る葵を凌いで牡丹を高く見たのであった。が、こんなに心易い処に咲いたのには逢わなかった。またどこにもあるまい。細竹一節の囲もない、酔える艶婦の裸身である。 旅の袖を、直ちに蝶の翼に開いて――狐が憑いたと・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ ここを入って行きましょうと、同伴が言う、私設の市場の入口で、外套氏は振返って、その猪の鼻の山裾を仰いで言った。「あれ、温泉よ。」「温泉?」「いま通って来たじゃありませんか、おじさん。」「ああ、あの紺屋の物干場と向い合っ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・に誰も居ないのを、一息の下に見渡して、我を笑うと心着いた時、咄嗟に渋面を造って、身を捻じるように振向くと…… この三角畑の裾の樹立から、広野の中に、もう一条、畷と傾斜面の広き刈田を隔てて、突当りの山裾へ畦道があるのが屏風のごとく連った、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 近くに藁屋も見えないのに、その山裾の草の径から、ほかほかとして、女の子が――姉妹らしい二人づれ。……時間を思っても、まだ小学校前らしいのが、手に、すかんぼも茅花も持たないけれど、摘み草の夢の中を歩行くように、うっとりとした顔をしたのと・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・ かなり長い急な山裾の切通し坂をぐるりと廻って上りきった突端に、その耕吉には恰好だという空家が、ちょこなんと建っていた。西向きの家の前は往来を隔てた杉山と、その上の二千尺もあろうという坊主山で塞がれ、後ろの杉や松の生えた山裾の下の谷間は・・・ 葛西善蔵 「贋物」
出典:青空文庫