・・・ 露子にはピアノの音が、大海原を渡る風の音と聞こえたり、岸辺に打ち寄せる波の音と聞こえたのであります。そして、ピアノをお弾きなさるお姉さまが、すきとおるお声で、外国の歌をうたいなさるお姿は、いつもよりかいっそう神々しく見えたのであります・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・二人は、南の国へいって、波の穏やかな岸辺で笛を吹いたり、踊ったりして送りましょう。わたしは、いまあなたをわたしとおなじ白い鳥の姿にしてあげます。海を越え、山を越えてゆくのですから……。」と、白鳥はいいました。 ついに、盲目の少年は、白い・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・ 御最後川の岸辺に茂る葦の枯れて、吹く潮風に騒ぐ、その根かたには夜半の満汐に人知れず結びし氷、朝の退潮に破られて残り、ひねもす解けもえせず、夕闇に白き線を水ぎわに引く。もし旅人、疲れし足をこのほとりに停めしとき、何心なく見廻わして、何ら・・・ 国木田独歩 「たき火」
海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて ―プウシキン― 私は子供のときには、余り質のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌いで、それゆえ、のろくさい女中を殊にも・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・ 水のなかの小えびを追っかけたり、岸辺の葦のしげみに隠れて見たり、岩角の苔をすすったりして遊んでいた。 それから鮒はじっとうごかなくなった。時折、胸鰭をこまかくそよがせるだけである。なにか考えているらしかった。しばらくそうしていた。・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・アメリカの曠野に立つ樫フランスの街道に並ぶ白楊樹地中海の岸辺に見られる橄欖の樹が、それぞれの姿によってそれぞれの国土に特種の風景美を与えているように、これは世界の人が広重の名所絵においてのみ見知っている常磐木の松である。 自分は三門前と・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・倫敦に固有なる濃霧はことに岸辺に多い。余が桜の杖に頤を支えて真正面を見ていると、遥かに対岸の往来を這い廻る霧の影は次第に濃くなって五階立の町続きの下からぜんぜんこの揺曳くものの裏に薄れ去って来る。しまいには遠き未来の世を眼前に引き出したるよ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ その頃、かなり一番池とは、はなれて、その岸辺は葦でみたされ堤は見えない処で崩れ落ちて、思いもかけぬ処から水田に、はてしなく続いて居る。 この池の堤の裏を町に行く里道の道とも云うべきのが通じて居る。 何の人工も加えられず、有りの・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・わが立ちしのちも、よなよな纜をわが窓のもとにつなぎて臥ししが、ある朝羊小屋の扉のあかぬにこころづきて、人々岸辺にゆきて見しに、波むなしき船を打ちて、残れるはかれ草の上なる一枝の笛のみなりきと聞きつ」 かたりおわるとき午夜の時計ほがらかに・・・ 森鴎外 「文づかい」
・・・道の傍には細流ありて、岸辺の蘆には皷子花からみつきたるが、時得顔にさきたり。その蔭には繊き腹濃きみどりいろにて羽漆の如き蜻とんぼうあまた飛びめぐりたるを見る。須坂にて昼餉食べて、乗りきたりし車を山田まで継がせんとせしに、辞みていう、これより・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫