・・・父の父、すなわち私たちの祖父に当たる人は、薩摩の中の小藩の士で、島津家から見れば陪臣であったが、その小藩に起こったお家騒動に捲き込まれて、琉球のあるところへ遠島された。それが父の七歳の時ぐらいで、それから十五か十六ぐらいまでは祖父の薫育に人・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・人 島津正洋画家。縫子小糸川子爵夫人、もと料理屋「ゆかり」の娘。辺栗藤次門附の人形使。ねりものの稚児。童男、童女二人。よろず屋の亭主。馬士一人。ほかに村の人々、十四五人。候 四月下旬のはじめ、午後・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・あの子供らのよく遊びに行った島津山の上から、芝麻布方面に連なり続く人家の屋根を望んだ時のかつての自分の心持ちをも思い合わせ、私はそういう自分自身の立つ位置さえもが――あの芸術家の言い草ではないが、いつのまにか墓地のような気のして来たことを胸・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・五反田の、島津公分譲地の傍に三十円の家を借りて住んだ。Hは甲斐甲斐しく立ち働いた。私は、二十三歳、Hは、二十歳である。 五反田は、阿呆の時代である。私は完全に、無意志であった。再出発の希望は、みじんも無かった。たまに訪ねて来る友人達の、・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・反射の強い日光を洋傘一つにさけて島津家の庭を観、集成館を見物し、城山に登る。城山へは、宿の横手の裏峡道から、物ずきに草樹を掻き分け攀じ登ったのだから、洋服のYは泰然、私はひどく汗を掻いた。つい目の先に桜島を泛べ、もうっと暑気で立ちこめた薄靄・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫