・・・ しかしながら、一の理想をあらわすときに、他の理想を欠いている場合と、積極的に他の理想を打ち崩している場合とは少々違うのであります。欠いているのはただ含んでおらんと云うまでで、打ち壊すとなると明かにその理想に違背しているのですからして、・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・金鵄勲章功七級、玄武門の勇士ともあろう者が、壮士役者に身をもち崩して、この有様は何事だろう。 次第に重吉は荒んで行った。賭博をして、とうとう金鵄勲章を取りあげられた。それから人力俥夫になり、馬丁になり、しまいにルンペンにまで零落した。浅・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・つまり生活が次第に崩してゆくんだ。そして、こんな心持で文学上の製作に従事するから捗のゆかんこと夥しい。とても原稿料なぞじゃ私一身すら持耐えられん。況や家道は日に傾いて、心細い位置に落ちてゆく。老人共は始終愁眉を開いた例が無い。其他種々の苦痛・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・即ち多くは原文を全く崩して、自分勝手の詩形とし、唯だ意味だけを訳している。処が其の両者を読み比べて見るとどうであろう。英文は元来自分には少しおかったるい方だから、余り大口を利く訳には行かぬが、兎に角原詩よりも訳の方が、趣味も詩想もよく分る、・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・ そこででんしんばしらは少し歩調を崩して、やっぱり軍歌を歌って行きました。「ドッテテドッテテ、ドッテテド、 右とひだりのサアベルは たぐいもあらぬ細身なり。」 じいさんは恭一の前にとまって、からだをすこしかがめま・・・ 宮沢賢治 「月夜のでんしんばしら」
・・・ お繁婆さんは木皿へ盛って出されたカステラをしげしげと見ていろいろの讚辞を呈してから大切そうに端から崩して行く。実際この村や町では藤村のカステラの様な味のものはさかさに立っても喰べられないのである。 お繁婆さんが永い事かかってカステ・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・多喜子は、座布団の上で洋装の膝をやや崩して坐りながら、細い結婚指輪だけはまっている手をもう一方の手でこすった。床柱も、そこの一輪差しに活けられている黄菊の花弁の冷たささえも頬に感じられて来るような室の底冷える空気である。 暫くぽつんとし・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・未成年者の喫煙、飲酒、買婬は驚く程のスピードで無垢な少年達の生活を崩して行った。その結果工場の資材を持出して売ること、そういうもののブローカーをすること、盗んだ資材で、例えばラジオを組立てたり、時計を一寸修繕したりして、それで又金を儲けるこ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ しかるにある時、私は松の樹の生い育った小高い砂山を崩している所にたたずんで、砂の中に食い込んだ複雑な根を見まもることができた。地上と地下の姿が何とひどく相違していることだろう。一本の幹と、簡素に並んだ枝と、楽しそうに葉先をそろえた針葉・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫