・・・ 可惜、鼓のしらべの緒にでも干す事か、縄をもって一方から引窓の紐にかけ渡したのは無慙であるが、親仁が心は優しかった。 引窓を開けたばかりわざと勝手の戸も開けず、門口も閉めたままで、鍋をかけた七輪の下を煽ぎながら、大入だの、暦だの、姉・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 気候は、と言うと、ほかほかが通り越した、これで赫と日が当ると、日中は早じりじりと来そうな頃が、近山曇りに薄りと雲が懸って、真綿を日光に干すような、ふっくりと軽い暖かさ。午頃の蔭もささぬ柳の葉に、ふわふわと柔い風が懸る。……その柳の下を・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・物干へ蒲団を干す時である。 お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持になって、ふっくりと、蒲団に団欒を試みるのだから堪らない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所から頂戴して貯えている豹の皮を釣って・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・「満蔵、今日は朝のうちに籾を干すんだからな、すぐ庭を掃いてくれろ」 姉はもう仕事を言いつけている。満蔵はまだ顔も洗わず着物も着まいに、あれだから人からよく言われないだなどと省作は考えている。この場合に臨んではもう五分間と起きるを延ば・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・きょうは青空よい天気まえの家でも隣でも水汲む洗う掛ける干す。 国定教科書にあったのか小学唱歌にあったのか、少年の時に歌った歌の文句が憶い出された。その言葉には何のたくみも感ぜられなかったけれど、彼が少年だった・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・いたく古びてところどころ古綿の現われし衣の、火に近き裾のあたりより湯気を放つは、朝の雨に霑いて、なお乾すことだに得ざりしなるべし。 あな心地よき火や。いいつつ投げやりし杖を拾いて、これを力に片足を揚げ火の上にかざしぬ。脚絆も足袋も、紺の・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・ 主客の間にこんな挨拶が交されたが、客は大きな茶碗の番茶をいかにもゆっくりと飲乾す、その間主人の方を見ていたが、茶碗を下へ置くと、「君は今日最初辞退をしたネ。」と軽く話し出した。「エエ。」と主人は答えた。「なぜネ。」・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・上は男の子供ばかりの殺風景な私の家にあっては、この娘が茶の間の壁のところに小乾す着物の類も目につくようになった。それほど私の家には女らしいものも少なかった。 今の住居の庭は狭くて、私が猫の額にたとえるほどしかないが、それでも薔薇や山茶花・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・最早山の上でもすっかり雪が溶けて、春らしい温暖な日の光が青い苔の生えた草屋根や、毎年大根を掛けて干す土壁のところに映っていた。 丁度、お島は手拭で髪を包んで、入口の庭の日あたりの好いところで余念なく張物をしていた。彼女の友達がそこへ来た・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・晴れた日には庭一面におしめやシャツのような物を干す、軒下には缶詰の殻やら横緒の切れた泥塗れの女下駄などがころがっている。雨の日には縁側に乳母車があがって、古下駄が雨垂れに濡れている。家の中までは見えぬがきたなさは想像が出来る。細君からして随・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
出典:青空文庫