・・・ 岡本が、蒼白い平らな顔に髪を引束ねた姿で紅茶を運んで来た。彼女は、今日特別陰気で、唇をも動かさず口の中で、「いらっしゃいまし」と挨拶した。「岡本さんも一緒に召し上れよ」「はあ、私あちらでいただきますから」 陽子の部・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・――全く少し感情の強い現世的な人間が、あの整った自然の風景、静かな平らな、どこまでも見通しの利く市街、眠たい、しきたりずくめの生活に入ったら、何処ぞでグンと刺戟され情熱の放散を仕たいと切に望むだろう。そういう超日常を欲する心を、一いきに、古・・・ 宮本百合子 「京都人の生活」
・・・ おどおどしながら仙二はまだ若い娘が落ついた取りすました眼付をして平らな足つきで今まで来た道を一寸もかえないで行くのを不思議に思った。 歩く時いつでも右の袂の中頃をもって居るのが癖だと云う事を見つけて仙二はわけもなく可笑しかった。・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ 心の平らな人、 絶えず希望の輝きをみとめて居る人、 そう云う人達の沢山な様にするのにはその人達のまだ布で云えば白地の子供の時代の育まれ様によると云う事が出来ます。 そして最も大切なのはその読み物だと云う事も出来ます。 ・・・ 宮本百合子 「現今の少女小説について」
・・・すこし石段をのぼって一寸平らなところを行って、又石段になった。ずっと昔、長崎の夜の町を歩いたとき、灯の明るい、べっこう屋のどっさりある通りがこんな石段道であった。ピエール・ロチが長崎を描いている一番美しいところは、お菊が俥にのって、白い小さ・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・どぶ板と店のガラス戸との間に無理して体を平らにして爪立っている人のように例の名誉戦死者某々殿の立札が立っている。米屋の店はぴったりくっついた隣だから、祝出征の旗の横には、いや応なくその立札が並んで眼に入る。 通行人はそのようにして二つ並・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・烈しい力で地層を掻きむしられたように、平らな部分、土や草のあるところなど目の届く限り見えず、来た方を振りかえると、左右の丘陵の巓に、僅か数本の躑躅が遅い春の花をつけているばかりだ。森としている。硫黄の香が益々強い。 自然の圧迫を受け、黙・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・そのとき鷹は水底深く沈んでしまって、歯朶の茂みの中に鏡のように光っている水面は、もうもとの通りに平らになっていた。二人の男は鷹匠衆であった。井の底にくぐり入って死んだのは、忠利が愛していた有明、明石という二羽の鷹であった。そのことがわかった・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・何の手入もしないに、年々宿根が残っていて、秋海棠が敷居と平らに育った。その直ぐ向うは木槿の生垣で、垣の内側には疎らに高い棕櫚が立っていた。 花房が大学にいる頃も、官立病院に勤めるようになってからも、休日に帰って来ると、先ずこの三畳で煎茶・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・竹柏園文庫の『和漢船用集』を借覧するに、「おもて高く、とも、よこともにて、低く平らなるものなり」と言ってある。そして図にはさおで行る舟がかいてある。 徳川時代には京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大阪へ回されたそうである。それを・・・ 森鴎外 「高瀬舟縁起」
出典:青空文庫