・・・その、絶えているかつながっているかわからないようなつながりを闇の中に探り出そうとするときに、われわれは平素頼みにしている自分の理性のたよりなさを感じる。そうして人間の意識的生活というものがほんとうに夢か幻のようなものであるように思われて来る・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ こういう早わざをしとげるためには、もとより天賦の性能もあろうが、主として平素の習練を積むことが必要で、これは水練でも剣術でも同じことであろうと思われる。 学生の時分に天文観測の実習をやった。望遠鏡の焦点面に平行に張られた五本の蜘蛛・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ ことによると、実は自分自身の中にも、そういうふうに外国人に追従を売るようなさもしい情け無い弱点があるのを、平素は自分で無理にごまかし押しかくしている。それを今眼前に暴露されるような気がして、思わずむっとして、そうして憂鬱になったのかも・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・このような障害の根を絶つためには、一般の世間が平素から科学知識の水準をずっと高めてにせ物と本物とを鑑別する目を肥やしそして本物を尊重しにせ物を排斥するような風習を養うのがいちばん近道で有効ではないかと思ってみた。そういう事が不可能ではない事・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・ あのころの田舎の初節句の祝宴はたいてい二日続いたもので、親類縁者はもちろん、平素はあまり往来せぬ遠縁のいとこ、はとこまで、中にはずいぶん遠くからはるばる泊まりがけで出て来る。それから近村の小作人、出入りの職人まで寄り集まって盛んな祝い・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・わたしは一晩泊って行くように勧めたが、平素健脚を誇っている唖々子は「なに。」と言って、酔に乗じて本郷の家に帰るべく雪を踏んで築地橋の方へと歩いて行った。 三 同じ年の五月に、わたしがその年から数えて七年ほど前に書・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ 虫籠、絵団扇、蚊帳、青簾、風鈴、葭簀、燈籠、盆景のような洒々たる器物や装飾品が何処の国に見られよう。平素は余りに単白で色彩の乏しきに苦しむ白木造りの家屋や居室全体も、かえってそのために一種いうべからざる明い軽い快感を起させる。この周囲・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・殆ど人に逢わぬことである。平素市中の百貨店や停車場などで、疲れもせず我先きにと先を争っている喧騒な優越人種に逢わぬことである。夏になると、水泳場また貸ボート屋が建てられる処もあるが、しかしそれは橋のかかっているあたりに限られ、橋に遠い堤防に・・・ 永井荷風 「放水路」
出典:青空文庫