・・・「が、そう云う幸運が続いたのも、長い間の事じゃありません。やっと笑う事もあるようになったと思うと、二十七年の春々、夫はチブスに罹ったなり、一週間とは床につかず、ころりと死んでしまいました。それだけならばまだ女も、諦めようがあったのでしょ・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ 何れにしても、彼等は尻尾を出さなければ必ず出世できるという幸運を約束されているという点で、一致していた。後年私は、新聞紙上で、軍人や官吏が栄転するたびに、大正何年組または昭和何年組の秀才で、その組のトップを切って栄進したという紹介記事・・・ 織田作之助 「髪」
・・・学生諸君はむしろ好運に選ばれたる青年であり、その故に生命とヒューマニティーと、理想社会について想い、夢見、たたかいに準備する義務があるのである。 さて私はかように夢と理想とを抱いて学窓にある、健やかなる青年として諸君を表象する。学業に勉・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・むしろかえってそうであったことが私には幸運であったと思っている。 子供の時分にこの臆病な私の胆玉を脅かしたものの一つは雷鳴であった。郷里が山国で夏中は雷雨が非常に頻繁であり、またその音響も東京などで近頃聞くのとは比較にならぬほど猛烈なも・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・食慾不振のおかげで、御馳走がまずく喰われるという幸運を持合せたのであろう。何が仕合せになるかもしれないのである。 四 半分風邪を引いていると風邪を引かぬ話 流感が流行るという噂である。竹の花が咲くと流感が流行るとい・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・生え抜きの上田市民で丁度この日他行のためにこの祇園祭の珍しい行事に逢わなかった人もあるであろうから一生におそらくただ一度この町へ来合わせて丁度偶然この七十年目の行事に出くわした自分等はよほどな幸運に恵まれたものだと思っても別に不都合はない訳・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・このあいだ近所の泥溝に死んでいた哀れなのら猫の子も引き合いに出て、同じ運命から拾い上げられて三毛に養われ豊かな家にもらわれて行ったあのちびがいちばんの幸運だというものもあれば、御隠居さんばかりの家に行った赤がいちばん楽でいいだろうというもの・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・妻は特にかわいがっていた太郎がわりに好運でなかった事を残念がっているらしかったが、私はどういうものか芋屋の店先に眠っているおさるの運命の行く末に心を引かれた。 ある夜夜ふけての帰り道に芋屋の角まで来ると、路地のごみ箱のそばをそろそろ歩い・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・そう思いうる幸運な学者は、その仕事が自分で見て完全になるのを待って安心してこれを発表する事ができる。しかし厳密な意味の完全が不可能事である事を痛切にリアライズし得た不幸なる学者は相対的完全以上の完全を期図する事の不可能で無意義な事を知ってい・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・最初に軒端の廻燈籠と梧桐に天の河を配した裏絵を出したら幸運にそれが当選した。その次に七夕棚かなんかを出したら今度は見事に落選した。その後子規に会ったとき「あれはまずい、前のと別人のようだと不折が云っていた」と云われた。その後に冬木立の逆様に・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
出典:青空文庫