・・・千代の優婉らしい挙止の裡にはさほ子が圧迫を感じる底力があった。千代の方は一向平然としている丈、さほ子は神経質になった。 千代を傍観者として後片づけをしていると、良人は、さほ子に訊いた。「どうだね?」 気づかれのした彼女は、ぐった・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・活に身を投じて、辛い辛い思いで自分を支えて行かなければならない――ここで、人として独立の自信を持ち得ない、持つ丈の実力を欠いている彼女は、何処かに遺っている過去の、殆ど習性にさえ成った日蔭の依頼主義の底力に押されて、非常に微細に、非常に滑っ・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ 舞台上の人物として柄の大きいこと、地が男である為、扮装にも挙止にも殊に女性の特徴を強調しつつ、何処かに底力のある強さ、実際にあてはめて見ると、純粋の女でもなし、男でもないと云う一種幻想的な特殊の美が醸される点などは、場合によって、多く・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・イの生きかたやゴーリキイと何かの形で不断の接触を保ちつつゴーリキイを発展せしめると同時に、そのことによって大衆のうちに蔵されている巨大な階級的芸術の可能性の見本をひき出して行った、ロシアの階級的組織の底力というものに深く感銘したことがあった・・・ 宮本百合子 「作家研究ノート」
・・・作者の日常生活の中では目に入れられなかった大都会のはしはしの、不潔な、日夜雑沓し、工場の黒煙濛々たる労働者街の自然、激しい汗を流させる労働の対象としての自然が、その息苦しい、だがバルザックを恐怖させた底力をもって、歴史を自身の肩で押しすすめ・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・ けれども、その悲哀は自分の心から勇気を抜き去ったり、疲れを覚えさせたりするような悲しみではなく、かえって、心に底力を与え、雄々しさを添えるものであることを彼女は感じた。 そして、無限に起って来るべき不調和と、衝突とに向って、それが・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・たしかに中国人は底の知れない深さと底力をもっている」ことに圧迫をうける。しかし、その中国人、正しくは中国のプロレタリアート・農民に対して、筆者をこめての武力的侵害者の一団が、どういう関係にあるかということは、一言もふれられていない。そこまで・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ 勇ましい、底力のある声である。 暫くすると木精が答えた。大きい大きい声である。山々に響き谷々に響く。 空に聳えている山々の巓は、この時あざやかな紅に染まる。そしてあちこちにある樅の木立は次第に濃くなる鼠色に漬されて行く。 ・・・ 森鴎外 「木精」
・・・そして底力のある勇気の徐々によみがえって来ることを意識する。二 ただ「知る」だけでは何にもならない、真に知ることが、体得することが、重大なのだ。――これは古い言葉である。しかし私は時々今さららしくその心持ちを経験する。 ・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・私は底力のある興奮を心の奥底に感じ始めた。 私の眼はすぐに老樹の根に向かった。地下の烈しい営みはすでに地上一尺のところに明らかに現われている。土の層の深くないらしいこの山に育ってあの亭々たる巨幹をささえるために、太い強靱な根は力限り四方・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫