・・・みんなその頭を固く白い布で巻いて髪を引き緊めて、その上に帽子を置いている。 がたがた馬車が、跳ね返る小馬に牽かれて駆けて往く。車台の上では二人の男、おかしなふうに身体を揺られている。そして車の中の一人の女はしかと両側を握って身体の揺れる・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・江戸参勤中で遠江国浜松まで帰ったが、訃音を聞いて引き返した。光貞はのち名を光尚と改めた。二男鶴千代は小さいときから立田山の泰勝寺にやってある。京都妙心寺出身の大淵和尚の弟子になって宗玄といっている。三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養わ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 押丁共がツァウォツキイの肩先を掴まえて引き摩って行った。 ツァウォツキイは胸に小刀を挿していながら、押丁どもを馬鹿にして、「犬め、極卒め、カザアキめ」と罵った。 押丁共は返事の代りに足でツァウォツキイを蹴った。その時胸から小刀・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・とにかくこの敗軍の体を見ればいとど心も引き立つわ」「引き立つわ、引き立つわ、糸のように引き立つわ。和主もこれから見参して毎度手柄をあらわしなされよ」「これからはまた新田の力で宮方も勢いを増すでおじゃろ。楠や北畠が絶えたは惜しいが、ま・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・それに引き換え、勘次の父は村会を圧する程隆盛になって来た。そこで勘次の父は秋三の家が没落して他人手に渡ろうとした時、復讐と恩酬とを籠めたあらゆる意味において、「今だ!」と思った。そして、妻が反対したのに拘らず、彼は妻の実家を立て直して翌年死・・・ 横光利一 「南北」
・・・色彩のみならず線の引き方においても、リズムの貧弱な、ノッペリとした現在の線は、絵の具や筆の性質によるのではなくて、明らかに画家の性質によるのである。僕は法隆寺の壁画や高野の赤不動、三井寺の黄不動の類を拉しきたって現在の日本画を責めるような残・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫