・・・ と、引立てるように、片手で杖を上げて、釣竿を撓めるがごとく松の梢をさした。「じゃがの。」 と頭を緩く横に掉って、「それをば渡ってはなりませぬぞ。……渡らずと、橋の詰をの、ちと後へ戻るようなれど、左へ取って、小高い処を上らっ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ と卓子の上へ、煙管を持ったまま長く露出した火鉢へ翳した、鼠色の襯衣の腕を、先生ぶるぶると震わすと、歯をくいしばって、引立てるようにぐいと擡げて、床板へ火鉢をどさり。で、足を踏張り、両腕をずいと扱いて、「御免を被れ、行儀も作法も云っ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 尾を撮んで、にょろりと引立てると、青黒い背筋が畝って、びくりと鎌首を擡げる発奮に、手術服という白いのを被ったのが、手を振って、飛上る。「ええ驚いた、蛇が啖い着くです――だが、諸君、こんなことでは無い。……この木製の蛇が、僕の手練に・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・口で求めず手で引き立てる奈々子の要求に少しもさからうことはできない。父は引かるるままに三児のあとから表にある水鉢の金魚を見にいった。五、六匹死んだ金魚は外に取り捨てられ、残った金魚はなまこの水鉢の中にくるくる輪をかいてまわっていた。水は青黒・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ちょうどそこへ山本氏の著書が現われて自分の手をとって引き立てるのであった。 中学時代に少しばかり油絵をかいてみた事はある。図画の先生に頼んで東京の飯田とかいううちから道具や絵の具を取り寄せてもらって、先生から借りたお手本を一生懸命に模写・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・生徒の生涯を貫ぬいてその魂を導き引き立てるような貴いありがたい影響はどこにもなくなるだろう。 十年一日のごとき講義をするといってよく教師を非難する人が往々ある。しかしそれだけの事実では教師の教師たる価値は論ぜられないと思う。講義の内容の・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ なお余論として以上二種の文芸の特性についてちょっと比較してみますと、浪漫派は人の気を引立てるような感激性の分子に富んでいるには違ないが、どうも現世現在を飛び離れているの憾みを免かれない。妄りに理想界の出来事を点綴したような傾があるかも・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・最後までよいユーモアを失わず、みなの気を引立てるために冗談をいって笑いまでしたイエニーは、最後の意識が失われようとする時カールに向って云った。「カール、私の力は砕けました。」彼女の眼はいつもより大きく美しく輝いていた。口がきけなくなった時イ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ 修辞上の効果から云えば、自己の主張し肯定しようとする一方のものを引立てるために、それと対照する他の一方のものを強調して描くのが賢い方法であるかもしれません。 併し、或る国の社会状態を紹介し、批評し、未だそれを直接見聞したことのない・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・ 秋三が安次の首筋を持って引き立てると、安次は胸を突き出して、「アッ、アッ。」と苦しそうな声を立てた。「早よ歩けさ。厄介な餓鬼やのう!」「腹へって腹へって、お前、負うてくれんか!」「うす汚い! 手前のようなやつ、負えるかい。・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫