・・・腹心の、子飼の弟子ともいうべき子分達に、一人残らず背かれたことは、彼にとって此上ない淋しいことであった。川村にしても、高橋にしても、斎藤にしても、小野にしても、其他十数人の、彼を支持する有力な子分は、皆組合の手に奪われてしまったのだ。 ・・・ 徳永直 「眼」
・・・女児一群、紅紫隊ヲ成ス者ハ歌舞教師ノ女弟子ヲ率ルナリ。雅人ハ則紅袖翠鬟ヲ拉シ、三五先後シテ伴ヲ為シ、貴客ハ則嬬人侍女ヲ携ヘ一歩二歩相随フ。官員ハ則黒帽銀、書生ハ則短衣高屐、兵隊ハ則洋服濶歩シ、文人ハ則瓢酒ニシテ逍遥ス。茶肆ノ婢女冶装妖飾、媚・・・ 永井荷風 「上野」
・・・実を言うと今登った高原君、あれは私が高等学校で教えていた時分の御弟子であります。ああいう立派なお弟子を持っているくらいでありますから、私もよほど年を取りました。その私がまだ若い時の事ですからまあ昔といっても宜しゅうございましょう。今考えると・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・すべての芸術とすべての宗教とは、各の読者と各の弟子たちにまで、彼等自身の趣味を反映させるにすぎないだらう。たとへば日蓮は日蓮の個性に於て、親鸞は親鸞の個性に於て、同じ一人の釈迦を別々に解釈し――ああいかに彼等の解釈がちがつてゐたか。――そし・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・滝口に燈を呼ぶ声や春の雨白梅や墨芳ばしき鴻臚館宗鑑に葛水たまふ大臣かな実方の長櫃通る夏野かな朝比奈が曽我を訪ふ日や初鰹雪信が蝿打ち払ふ硯かな孑孑の水や長沙の裏長屋追剥を弟子に剃りけり秋の旅鬼貫や新酒の中の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・それでこそ私の弟子なのだ。お前のお父さんは七年前の不作のとき祭壇に上って九日祷りつづけられた。お前のお父さんはみんなのためには命も惜しくなかったのだ。ほかの人たちはどうだ。ブランダ。言ってごらん。」 ブランダと呼ばれた子はすばやくきちん・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・幼年時代を、たのしく愛と芸術的な空気にみちたトーマス・マンの家庭に育って、十八歳で学校を卒業すると、ベルリンへ出て、マックス・ラインハルトの弟子になった。ラインハルトといえばドイツの近代劇と演出の泰斗である。 ラインハルトの下で女優とな・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・京都妙心寺出身の大淵和尚の弟子になって宗玄といっている。三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養われている。四男勝千代は家臣南条大膳の養子になっている。女子は二人ある。長女藤姫は松平周防守忠弘の奥方になっている。二女竹姫はのちに有吉頼母英長・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・栖方は俳人の高田の弟子で、まだ二十一歳になる帝大の学生であった。専攻は数学で、異常な数学の天才だという説明もあり、現在は横須賀の海軍へ研究生として引き抜かれて詰めているという。「もう周囲が海軍の軍人と憲兵ばかりで、息が出来ないらしいので・・・ 横光利一 「微笑」
・・・先輩の手法を模倣して年々その画風を変えるごとき不見識に陥らず、謙虚な自然の弟子として着実に努力せられんことを望む。 ――例外の一と二とに現われた二つの道が日本画を救い得るかどうか。それは未来にかかった興味ある問題である。・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫