・・・ といって僕を見なすったが、僕がしくしくと泣いているのに気がつくと、「まあ兄さんも弱虫ね」 といいながらお母さんも泣き出しなさった。それだのに泣くのを僕に隠して泣かないような風をなさるんだ。「兄さん泣いてなんぞいないで、お坐・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・そんなに思うと弱虫だった僕は淋しく悲しくなって来て、しくしくと泣き出してしまいました。「泣いておどかしたって駄目だよ」とよく出来る大きな子が馬鹿にするような憎みきったような声で言って、動くまいとする僕をみんなで寄ってたかって二階に引張っ・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・ 四「状を見ろ、弱虫め、誰だと思うえ、小烏の三之助だ。」 と呵々と笑って大得意。「吃驚するわね、唐突に怒鳴ってさ、ああ、まだ胸がどきどきする。」 はッと縁側に腰をかけた、女房は草履の踵を、清くこぼれた・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・「弱虫だね。」 大通へ抜ける暗がりで、甘く、且つ香しく、皓歯でこなしたのを、口移し…… 九 宗吉が夜学から、徒士町のとある裏の、空瓶屋と襤褸屋の間の、貧しい下宿屋へ帰ると、引傾いだ濡縁づきの六畳から、・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・早瀬 それ見ろ、弱虫。人の事を云う癖に。何だ、下谷上野の一人あるきが出来ない娘じゃないじゃないか。お蔦 そりゃ褄を取ってりゃ、鬼が来ても可いけれども、今じゃ按摩も可恐いんだもの。早瀬 可し、大きな目を開いて見ていてやる。大丈夫だ・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・「やればできたんだが、みなおまえさんのような弱虫ばかりだ。」と、からすはいいました。 人のいい牛も、ついに腹を立てずにはいられませんでした。「小さな癖に、なまいきをいうな。」と、上を向いて太い鼻息を吹きかけますと、からすはびっく・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・ また、弱虫の正坊が、足を傷めて、体操を休んだときであります。「さあ、この日蔭に入って、おとなしくしていな。じきに、そればかしの傷はなおってしまうだろう。はやく元気になって、私の頭の上まで、登る勇気が出なければならん。ここへ上がると・・・ 小川未明 「学校の桜の木」
・・・ ボンは隣のばあさんと、その弱虫の子供の母親から、さんざん悪くいわれました。「三郎や、あんなに、ご近所でやかましくおっしゃるのだから、ボンを、だれかほしいという人があったら、やったらどうだい。」と、姉や祖母が、三郎にいいました。・・・ 小川未明 「少年の日の悲哀」
・・・ そのとき思いがけなく、例の木島・梅沢・小山の乱暴者が三人でやってきて、「やい、こんなところでなにしているんだい、弱虫め、あっちへいって兵隊になれよ。」と、三人は口々にいって、無理に光治を引きたてて連れてゆこうといたしました。・・・ 小川未明 「どこで笛吹く」
・・・しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引き摺ってゆく――ということであった・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
出典:青空文庫