・・・そして、晩方など、入り日の紅くさしこむ窓の下で、お姉さまがピアノをお弾きなさるとき、露子は、じっとそのそばにたたずんで、いちいち手の動くのから、日の光がピアノに当たって反射しているのから、なにからなにまで見落とすことがなく、また歌いなされる・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・「ははは、坊も、私のお弟子になってバイオリンが弾きたいかな。」と、おじいさんはいいました。「おじいさん、どうか僕に、バイオリンを教えてください。」と、少年は、熱心に、目を輝かして頼みました。 それからは、おじいさんは、自分のバイ・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・ ある日のこと、お姫さまは、海の見える港のはずれで、独りマンドリンを弾き、ふるさとの唄をうたっていられました。そこは、ずっとある島の南の端でありまして、気候は暖かでいろいろな背の高い植物の葉が、濃い緑色に茂っていました。女の人は、派手な・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・ また、石にかじりついても立派なヴァイオリン弾きになろうという野心も情熱もなかった。そんな野心や情熱の起る年でもなかった。ただ、父親が教えてくれた通り弾かねば、いつまでも稽古がくりかえされたり、小言をいわれたりするのが怖さに、出来るだけ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・例の椀大のブリキ製の杯、というよりか常は汁椀に使用されているやつで、グイグイあおりながら、ある者は月琴を取り出して俗歌の曲を唄いかつ弾き、ある者は四竹でアメリカマーチの調子に浮かれ、ある者は悲壮な声を張り上げてロングサインを歌っている、中に・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・遊客も芸者の顔を見れば三弦を弾き歌を唄わせ、お酌には扇子を取って立って舞わせる、むやみに多く歌舞を提供させるのが好いと思っているような人は、まだまるで遊びを知らないのと同じく、魚にばかりこだわっているのは、いわゆる二才客です。といって釣に出・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・かなりテヒニークの六ヶしいブラームスのものでも鮮やかに弾きこなすそうである。技術ばかりでなくて相当な理解をもった芸術的の演奏が出来るらしい。 それから、子供の時に唱歌をやったと同じように、時々ピアノの鍵盤の前に坐って即興的のファンタジー・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・そうして激昂する心を抑えてピアノの前に坐り所定曲目モザルトの一曲を弾いているうちにいつか頭が変になって来て、急に嵐のような幻想曲を弾き出す、その狂熱的な弾奏者の顔のクローズアップに重映されて祖国の同志達の血潮に彩られた戦場の光景が夢幻のごと・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・物乞をするために急に三味線を弾き初めたものと見えて、年は十五、六にもなるらしい大きな身体をしながら、カンテラを点した薦の上に坐って調子もカン処も合わない「一ツとや」を一晩中休みなしに弾いていた。その様子が可笑しいというので、縁日を歩く人は大・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・田舎のどこの小さな町でも、商人は店先で算盤を弾きながら、終日白っぽい往来を見て暮しているし、官吏は役所の中で煙草を吸い、昼飯の菜のことなど考えながら、来る日も来る日も同じように、味気ない単調な日を暮しながら、次第に年老いて行く人生を眺めてい・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
出典:青空文庫