・・・またたとえばわが国古来の絵巻物のようなものも、視覚的影像の連続系列であるという点では似た要素をもっていないとは言われない。それからまた、眼底網膜の視像の持続性を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ところが、これが写真の場合だとカメラのシャッターの開いている間の各瞬間における影像はことごとく重合し、その重合したぼやけくずれただらしのないものがフィルムに固定される。そういうぼやけたものを今度は週期的に一秒の何分の一の間隔をおいて投射し、・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・実在の人間に不可能で、しかも人間の可能性の延長であり人間の欲望の夢の中に揺曳するような影像を如実に写し出すというのも一つの芸術ではあるが、そうした漫画は精神的にはわれわれに何物をも与えず、ただ生理的にむしろ廃頽的な効果を与えるのみではないか・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ このような影像の間欠的なことに起因するフィルムの世界の特異性も、現在では利用されようとはせず、かえってむしろできるだけ避けようとして、そのほうに苦心が費やされているようである。しかしここにもいろいろな未来の可能性が伏在するであろう。・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・錯覚や誇張さらに転訛のレンズによってはなはだしくゆがめられた影像からその本体を言い当てなければならない。それを的確に成効しうるためにはそのレンズに関する方則を正確に知らなければならない、のみならず、またその個々の場合における決定条件として多・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・過去のある瞬間に世界のうちのある場所で起った出来事を映写器械のレンズで見た、その影像の写しをそのままに吾々の眼を通して直接に吾々の頭の中へ写し出すのである。 教育機関としての映画の役目は、このように観客の眼の「案内者」としての役目である・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・眼前の物体の光学的影像がちゃんと網膜に映じていてもその物の存在を認めないことはある。これはだれでも普通に経験することである。たとえば机の上にある紙切りが見えないであたり近所を捜し回ることがある。手に持っている品物をないないと言って騒ぐのは、・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・その時自分の意識の底層に郷里の高知の町の影像が動きかけたが、それっきりで表層までは現われないで消えていた。それが夢の中で高知の播磨屋橋を呼び出し、また飛行機の構造か何かが二重層の文化街を暗示したのではないかと思われる。後の場面に現われた土佐・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・連作にもいろいろありましょうが、例えば雪なら雪をいろいろの角度からいろいろの距離で眺めたものも面白くないことはありませんが、しかし私どもにはそういうのよりも、むしろ、表面上何の関係もないような多種の影像が連立していて、叙景や抒情が入り乱れ、・・・ 寺田寅彦 「書簡(2[#「2」はローマ数字2、1-13-22])」
・・・の例によってもわかるように、わが国の神話が地球物理学的に見てもかなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであるということから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなりに多くの史実あるいは史実の影像が包含されているのではないかという気・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
出典:青空文庫