・・・胸も、腹も、後足も、すらりと上品に延びた尻尾も、みんな鍋底のようにまっ黒なのです。まっ黒! まっ黒! 白は気でも違ったように、飛び上ったり、跳ね廻ったりしながら、一生懸命に吠え立てました。「あら、どうしましょう? 春夫さん。この犬はきっ・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・鼠は慣れていると見えて、ちょこちょこ、舞台の上を歩きながら、絹糸のように光沢のある尻尾を、二三度ものものしく動かして、ちょいと後足だけで立って見せる。更紗の衣裳の下から見える前足の蹠がうす赤い。――この鼠が、これから雑劇の所謂楔子を演じよう・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・彼奴が後足で立てば届く、低い枝に、預ったからである。 朝寝はしたし、ものに紛れた。午の庭に、隈なき五月の日の光を浴びて、黄金の如く、銀の如く、飛石の上から、柿の幹、躑躅、山吹の上下を、二羽縦横に飛んで舞っている。ひらひら、ちらちらと羽が・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・そうしてその後足には皆一寸ばかりずつ水がついてる。豪雨は牛舎の屋根に鳴音烈しく、ちょっとした会話が聞取れない。いよいよ平和の希望は絶えそうになった。 人が、自殺した人の苦痛を想像して見るにしても、たいていは自殺そのものの悲劇をのみ強く感・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・しばらく見ていると、その青蛙はきまったように後足を変なふうに曲げて、背中を掻く模ねをした。電燈から落ちて来る小虫がひっつくのかもしれない。いかにも五月蠅そうにそれをやるのである。私はよくそれを眺めて立ち留っていた。いつも夜更けでいかにも静か・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・そしてまだ話をきかぬ雌までも浮いて見えたので、「雌の方の頸はちょいと一うねりしてネ、そして後足の爪と踵とに一工夫がある。」というと、不思議にも言い中てられたので、「ハハハ、その通りその通り。」と主人は爽やかに笑った。が、その・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・犬はさっと後足で立ち上って、それをも上手にうけとり、がつがつと二どばかりかんでのみこみました。「へえ、こいつはまるでかるわざ師だ。どうだい、牛一ぴきのこらずくうまでかるわざをやるつもりかい? ほら、来た。よ、もう一つ。ほうら。よ、ほら。・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・赤は恐ろしい人なつこい犬である。後足で立って前足を胸に屈めていつまででも立つことが出来た。そうして何か欲しいといっては長い舌を出してぺろりぺろりと自分の鼻を甞めた。太十が庭へおりると唯悦んで飛びついた。うっかり抱いて太十はよく其舌で甞められ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 雪狼どもは、たちまち後足で、そこらの雪をけたてました。風がそれをけむりのように飛ばしました。 かんじきをはき毛皮を着た人が、村の方から急いでやってきました。「もういいよ。」雪童子は子供の赤い毛布のはじが、ちらっと雪から出たのを・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
出典:青空文庫