ある町はずれのさびしい寺に、和尚さまと一ぴきの大きな赤犬とが住んでいました。そのほかには、だれもいなかったのであります。 和尚さまは、毎日御堂にいってお経を上げられていました。昼も、夜も、あたりは火の消えたように寂然として静かであ・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・東京に行った隣の友吉の姿も、寺の御堂にかゝっている蜂の巣も、或る夕暮方、見た六部の姿を考えるとなしに、じっと一点に集って葉の上に光っている太陽の焼点の中に映っているような気がした。で、自分は、其の光りの中に集っている其等の一つ一つの姿や、記・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・音を今ぞ拝み奉ると、先ず境内に入りて足を駐めつ、打仰ぎて四辺を見るに、高さはおよそ三、四百尺もあるべく亙りは二町あまりもあるべき、いと大きなる一トつづきの巌の屏風なして聳え立ちたるその真下に、馬頭尊の御堂の古びたるがいと小やかに物さびて見え・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 休茶屋の近くに古い格子戸のはまった御堂もあった。京橋の誰それ、烏森の何の某、という風に、参詣した連中の残した御札がその御堂の周囲にべたべたと貼りつけてある。高い柱の上にも、正面の壁の上にも、それがある。思わずお三輪は旧い馴染の東京をそ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 大正十二年の震災にも焼けなかった観世音の御堂さえこの度はわけもなく灰になってしまったほどであるから、火勢の猛烈であったことは、三月九日の夜は同じでも、わたくしの家の焼けた山の手の麻布あたりとは比較にならなかったものらしい。その夜わたく・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・路に迷いて御堂にしばし憩わんと入れば、銀に鏤ばむ祭壇の前に、空色の衣を肩より流して、黄金の髪に雲を起せるは誰ぞ」 女はふるえる声にて「ああ」とのみいう。床しからぬにもあらぬ昔の、今は忘るるをのみ心易しと念じたる矢先に、忽然と容赦もなく描・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・実は我と物を区別してこれを手際よく安置するために空間と時間の御堂を建立したも同然である。御堂ができるや否や待ち構えていた我々は意識を攫んでは抛げ、攫んでは抛げ、あたかも粟餅屋が餅をちぎって黄ナ粉の中へ放り込むような勢で抛げつけます。この黄ナ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・テニス・コウトで草むしりをして居た女から、御堂では草履をはかせないことを聞いて戻り、やっと内に入った。 賑やかに飾った祭壇、やや下って迫持の右側に、空色地に金の星をつけたゴシック風天蓋に覆われた聖母像、他の聖徒の像、赤いカーテンの下った・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・私はやっと、御堂内では一切穿物を許さないということだけを知り得、荒れた南欧風の小径を再び下った。御堂の内部は比較的狭く、何といおうか、憂鬱と、素朴な宗教的情熱とでもいうようなものに充ちている。正面に祭壇、右手の迫持の下に、聖母まりあの像があ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫