・・・…… 八 台所と、この上框とを隔ての板戸に、地方の習慣で、蘆の簾の掛ったのが、破れる、断れる、その上、手の届かぬ何年かの煤がたまって、相馬内裏の古御所めく。 その蔭に、遠い灯のちらりとするのを背後にして、お納・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・「東京は大層広いそうでございますから、泊のものを、こちらで存じておりますような訳には参りますまいけれども、あのう、私は篠田様と云う、貴方の御所の方に、少し知己があるのでございまして。」 小宮山は肚の内で、これだな……。「訳は申上・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・やはり祇尼法であったろうことは思遣られるが、他の者に祈られて狐が二匹室町御所から飛出したなどというところを見ると、将軍長病で治らなかった余りに、人に狐を憑けるなどという事が一般に信ぜられていたに乗じて、他の者から仕組まれて被せられた冤罪だっ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・私が御所へあがったのは私の十二歳のお正月で、問註所の入道さまの名越のお家が焼けたのは正月の十六日、私はその三日あとに父に連れられ御所へあがって将軍家のお傍の御用を勤めるようになったのですが、あの時の火事で入道さまが将軍家よりおあずかりの貴い・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・それは青山御所を建てたコンドルという英人が建てたとか、あまり大きくもない煉瓦の建物であったが、当時の法文科はその一つの建物の中に納っていたのである。しかもその二階は図書室と学長室などがあって、太いズボンをつけた外山さんが、鍵をがちゃつかしな・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・○御所柿を食いし事 明治廿八年神戸の病院を出て須磨や故郷とぶらついた末に、東京へ帰ろうとして大坂まで来たのは十月の末であったと思う。その時は腰の病のおこり始めた時で少し歩くのに困難を感じたが、奈良へ遊ぼうと思うて、病を推して出掛けて行た・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・春の夜に尊き御所を守身かな春惜む座主の連歌に召されけり命婦より牡丹餅たばす彼岸かな滝口に灯を呼ぶ声や春の雨よき人を宿す小家や朧月小冠者出て花見る人を咎めけり短夜や暇賜はる白拍子葛水や入江の御所に詣づれば・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・松泉寺と云うのは、今の青山御所の向裏に当る、赤坂黒鍬谷の寺である。これを聞いて近所のものは、二人が出歩くのは、最初のその日に限らず、過ぎ去った昔の夢の迹を辿るのであろうと察した。 とかくするうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍らしげに爺い・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・彼が伊豆堀越御所を攻略して、伝統に対する実力の勝利を示したのは、延徳三年すなわち加賀の一向一揆の三年後であった。やがて明応四年には小田原城を、永正十五年には相模一国を征服した。ちょうどインド航路が打開され、アメリカが発見されて、ポルトガル人・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫