・・・ 五 笛も、太鼓も音を絶えて、ただ御手洗の水の音。寂としてその夜更け行く。この宮の境内に、階の方から、カタンカタン、三ツ四ツ七ツ足駄の歯の高響。 脊丈のほども惟わるる、あの百日紅の樹の枝に、真黒な立烏帽子、鈍・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 白山宮の境内、大きな手水鉢のわきで、人ごみの中だったが、山の方から、颯と虫が来て頬へとまった。指のさきで払い落したあとが、むずむずと痒いんだね。 御手洗は清くて冷い、すぐ洗えばだったけれども、神様の助けです。手も清め、口もそそぐ。・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 宗吉はかくてまた明神の御手洗に、更に、氷に閑らるる思いして、悚然と寒気を感じたのである。「くすくす、くすくす。」 花骨牌の車座の、輪に身を捲かるる、危さを感じながら、宗吉が我知らず面を赤めて、煎餅の袋を渡したのは、甘谷の手で。・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・……そこに屋根囲した、大なる石の御手洗があって、青き竜頭から湛えた水は、且つすらすらと玉を乱して、颯と簾に噴溢れる。その手水鉢の周囲に、ただ一人……その稚児が居たのであった。 が、炎天、人影も絶えた折から、父母の昼寝の夢を抜出した、神官・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・不躾ですが、御手洗で清めた指で触って見ました。冷い事、氷のようです。湧いて響くのが一粒ずつ、掌に玉を拾うそうに思われましたよ。 あとへ引返して、すぐ宮前の通から、小橋を一つ、そこも水が走っている、門ばかり、家は形もない――潜門を押して入・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・今と違って遊山半分でもマジメな信心気も相応にあったから、必ず先ず御手洗で手を清めてから参詣するのが作法であった。随って手洗い所が一番群集するので、喜兵衛は思附いて浅草の観音を初め深川の不動や神田の明神や柳島の妙見や、その頃流行った諸方の神仏・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ この横町の奥にちょっとした神社があって、石の鳥居が折れ倒れ、石燈籠も倒れている。御手洗の屋根も横倒しになって潰れている。 この御手洗の屋根の四本の柱の根元を見ると、土台のコンクリートから鉄金棒が突き出ていて、それが木の根の柱の中軸・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・二重にも三重にも建て廻らされた正方形なる玉垣の姿と、並んだ石燈籠の直立した形と左右に相対して立つ御手洗の石の柱の整列とは、いずれも幽暗なる月の光の中に、浮立つばかりその輪郭を鋭くさせていたので、もし誇張していえば、自分は凡て目に見る線のシン・・・ 永井荷風 「霊廟」
出典:青空文庫