・・・即ち印象的の描写と云うものは、必ずしも色彩の複雑なるを要しないのである。よし単調な色彩であっても、そこに一種云うべからざる魅力と、奪うべからざる力を描出し得ると思う。この事はいつか詳しく云いたいと思っている。 僕は批評と云わず、作と・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・そして心中ひそかに不平でならぬのは志村の画必ずしも能く出来ていない時でも校長をはじめ衆人がこれを激賞し、自分の画は確かに上出来であっても、さまで賞めてくれ手のないことである。少年ながらも自分は人気というものを悪んでいた。 或日学校で生徒・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・「死の秘密を知りたいという願ではない、死ちょう事実に驚きたいという願です!」「イクラでも君勝手に驚けば可いじゃアないか、何でもないことだ!」と綿貫は嘲るように言った。「必ずしも信仰そのものは僕の願ではない、信仰無くしては片時たり・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・しかしこれは協同する真心というので、必ずしも働く腕、才能をさすのではない。妻が必ず職業婦人になって、夫の収入に加えねばならぬというのではない。働く腕、金をとる才能のあることがかえって夫婦愛を傷つける場合は少なくないし、またあまりそういう働き・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 六 種々の視点への交感 教養としての倫理学研究は必ずしも一つの立場からの解決を必要としない。人間の倫理観のさまざまなる考え方、感じ方、解決のつけ方等をそれぞれの立場に身をおいて、感味して見るのもいい。それは人間とし・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・が与えた左様いう感じも必ずしも小さい働ではないと思います。文章発達史の上から云えば矢張り顧視せねばならぬ事実だと思います。 それはまあただ文章の上だけの話でありますが、其から「浮雲」其物が有した性質が当時に作用した事も中々少くはなかった・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
一 官吏、教師、商人としての兆民先生は、必ずしも企及すべからざる者ではない。議員、新聞記者としての兆民先生も、亦世間其匹を見出すことも出来るであろう。唯り文士としての兆民先生其人に至っては、実に明治当代の最も偉大なるものと言わね・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・彼女が小山の家を出ようと思い立ったのは、必ずしも老年の今日に始まったことではなかった。旦那も達者、彼女もまだ達者で女のさかりの頃に、一度ならず二度ならず既にその事があった。旦那くらい好い性質の人で、旦那くらい又、女のことに弱い人もめずらしか・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・あのボオドレエルの詩の中にあるような赤熱の色に燃えてしかも凍り果てるという太陽は、必ずしも北極の果を想像しない迄も、巴里の町を歩いて居てよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木の間に冬が来ても青々として枯れずに居る草地の眺めばかり・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・いちど、いやな恐るべき実体を見てしまった芸術家は、それに拠っていよいよ人生観察も深くなり、その作品も、所謂、底光りして来るようにも思われますが、現実は、必ずしもそうでは無いらしく、かえって、怒りも、憧れも、歓びも失い、どうでもいいという白痴・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫