・・・不精々々に木村が答えた。「どう思って遣っているのだね。」「どうも思わない。作りたいとき作る。まあ、食いたいとき食うようなものだろう。」「本能かね。」「本能じゃあない。」「なぜ。」「意識して遣っている。」「ふん」と・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ただそこで先方の答えが自身の考えに似ていれば「実にそう」とは信じぬながら不完全にもそれでわずかに妄想をすかしている。 世にいじらしい物はいくらもあるが、愁歎の玉子ほどいじらしい物はない。すでに愁歎と事がきまればいくらか愁歎に区域が出来る・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 歪んだ畳の上には湯飲みが一つ転っていて、中から酒色の番茶がひとり静に流れていた。農婦はうろうろと場庭を廻ると、饅頭屋の横からまた呼んだ。「馬車はまだかの?」「先刻出ましたぞ。」 答えたのはその家の主婦である。「出たかの・・・ 横光利一 「蠅」
・・・と、項を反せて、傲然としているのとのためであっただろう。「エルリングです」と答えて、軽く会釈して、男は出て行った。 エルリングというのは古い、立派な、北国の王の名である。それを靴を磨く男が名告っている。ドイツにもフリイドリヒという奴・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・しかしその答えはめんどうでない。極度に敏感になった心には、微かな濃淡も強すぎるほどに響くのである、一方でワグナアの音楽が栄えながら他方でメエテルリンクの劇が人心をひきつけた事実は、今なお人の記憶に新しいであろう。静かな、聞こえるか聞こえない・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫