・・・けれどもせんの三人は、いくらかよかったと見えて、思い思いに飲っていた。「文公、そうだ君の名は文さんとか言ったね。からだはどうだね。」と角ばった顔の性質のよさそうな四十を越した男がすみから声をかけた。「ありがとう、どうせ長くはあるまい・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ 評議の事定まりけん、童らは思い思いに波打ぎわを駈けめぐりはじめぬ。入江の端より端へと、おのがじし、見るが間に分れ散れり。潮遠く引きさりしあとに残るは朽ちたる板、縁欠けたる椀、竹の片、木の片、柄の折れし柄杓などのいろいろ、皆な一昨日の夜・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・婦人の断髪はやや下火でも、洋装はまだこれからというころで、思い思いに流行の風俗を競おうとするような女学校通いの娘たちが右からも左からもあの電車の交差点に群がり集まっていた。 私たち親子のものが今の住居を見捨てようとしたころには、こんな新・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・どうも自分の身体の具合が好くないと思い思いして、幾度となく温泉地行なぞを思い立ったのも、もうあの頃からだ。けれども彼女が根本からの治療を受けるために自分の身体を医者に診せることだけは避け避けしたのは、旦那の恥を明るみへ持出すに忍びなかったか・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・北村君もそんな風になった以上は仕方が無いし、吾々は吾々で、又更に新しく進んで見ようという心持になって、文学界の連中は各自思い思いに歩き始めた時であった。たまに訪ねて行くと、奥の方の小さい、薄暗いような部屋に這入っていて、「滅多に人にも会わな・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・震災後、思い思いに暇を取って出て行った以前の番頭や、小僧達の噂がそれからそれと引出されて行った。その時、お三輪は小竹の店のことを新七の前に持ち出した。それを持ち出して、伜の真意を聞こうとした。 新七は言った。「お母さんは――結局どう・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・き出され、どやどや改札口にやって来て、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐っているベンチの前を通り駅前の広場に出て、そうして思い思いの方向に散って行く。私は、ぼんや・・・ 太宰治 「待つ」
・・・ 滅びた主家の家臣らが思い思いに離散して行く感傷的な終末に「荒城の月」の伴奏を入れたのは大衆向きで結構であるが、城郭や帆船のカットバックが少しくど過ぎてかえって効果をそぐ恐れがありはしないか。自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・そうして、もう一つのおみやげには思い思いのカメラの目にアルプスの魂を圧縮して持ち帰ろうとするであろう。 年じゅう同じ天気の国では天気という言葉が無意味であると同じように、どこまで行っても同じような景色ばかりの国におい立った民族には風景と・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・ 子供は子供の見方をするように人々はまた思い思いの見方をしているであろう。自分はこの映画を見ているうちに、何だか自分のことを諷刺されるような気のするところがあった。自分の能力を計らないで六かしい学問に志していっぱしの騎士になったつもりで・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
出典:青空文庫