・・・彼女は、いつしか、他の青年を恋するようになりました。「その指輪は、だれからもらったのか。」と、その青年は、問うたのであります。いつか、約束にもらった指輪は、いまはかえって、邪魔となったのでした。彼女は、顔を赤くして、指輪をぬくと、海の中・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・そして自分は恋を恋する人に過ぎないと知った。実に大友はお正の恋を知ると同時に自分のお正に対する情の意味を初めて自覚したのである。 暫時無言で二人は歩いていたが、大友は斯く感じると、言い難き哀情が胸を衝いて来る。「然しね、お正さん、貴・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・アレキサンダーがペルシアの女との恋愛のために遠征を忘れ、スピノーザが性的孤独のために思索を怠り、ダヌンチオがフューメの女を恋するあまり戦いを捨てるようなことがあったとしたら、われわれは彼らのためにそれを惜しまずにはおられないであろう。 ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・その人の子を産みたいような男子、すなわち恋する男の子を産まないでは、家庭のくさびはひびが入っているではないか。ことに結婚生活に必ずくる倦怠期に、そのときこそ本当の夫婦愛が自覚されねばならないのだが、そうしたときに、恋愛から入っていなくては思・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 蕪村の句の理想と思しきものを挙ぐれば河童の恋する宿や夏の月湖へ富士を戻すや五月雨名月や兎のわたる諏訪の湖指南車を胡地に引き去る霞かな滝口に燈を呼ぶ声や春の雨白梅や墨芳ばしき鴻臚館宗鑑に葛水たまふ大臣かな・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・「二人は一緒に若返りました――彼女は恋する乙女に、彼は恋する若者に、一緒に人生に歩み入るところの――そして互いに生涯の別れを告げているところの――病みほつれた老人と死につつある老婦ではありませんでした。」 カールはもう一度丈夫になれ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・コフマンのこの本も猿が人間生活の感情にある理解をもつことは語っているが、アフリカの牝豹が守備兵を恋するというようなことは、科学の見解に立つ動物学者に肯定さるべき現実だろうか。シートンの生涯の努力がこの一つのために決して少くない信用を喪わせら・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
出典:青空文庫