・・・先生とこう飲んでいると私でも四十年も前の情話でも為てみたくなる、先生なら黙って聴いてくれそうに思われるだ。島中先生を好んものは有りましねえで。お露や私を初め」 自分はどうしてこう老人の気に入るだろう。老人といえば升屋の老人は今頃誰を対手・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・先日も、佐渡情話とか言う浪花節のキネマを見て、どうしてもがまんができず、とうとう大声をはなって泣きだして、そのあくる朝、厠で、そのキネマの新聞広告を見ていたら、また嗚咽が出て来て、家人に怪しまれ、はては大笑いになって、もはや二度と、キネマへ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・五年前、千葉県船橋の映画館で「新佐渡情話」という時代劇を見たが、ひどく泣いた。翌る朝、目がさめて、その映画を思い出したら、嗚咽が出た。黒川弥太郎、酒井米子、花井蘭子などの芝居であった。翌る朝、思い出して、また泣いたというのは、流石に、この映・・・ 太宰治 「弱者の糧」
・・・こういう横町の二階の欄干から、自分は或る雨上りの夏の夜に通り過る新内を呼び止めて酔月情話を語らせて喜んだ事がある。また梅が散る春寒の昼過ぎ、摺硝子の障子を閉めきった座敷の中は黄昏のように薄暗く、老妓ばかりが寄集った一中節のさらいの会に、自分・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 大道具の頭の外に、浅草では作曲家S氏とわたくしの作った歌劇『葛飾情話』演奏の際、ピアノをひいていた人も死んだそうである。その家は公園から田原町の方へ抜ける狭い横町であったがためだという話である。観客から贔屓の芸人に贈る薬玉や花環をつく・・・ 永井荷風 「草紅葉」
出典:青空文庫