・・・プロレタリア作家として窪川稲子は、作品の或る情趣とか、リリカルな効果とかそんなものでは安心しない深く真面目な芸術家としての感覚をもっている。又、自分の作家的出生即ち、家庭の事情によって小学校さえ卒業させられず、少女時代から勤労者の生活を経験・・・ 宮本百合子 「窪川稲子のこと」
・・・非常にうるおいあり情趣あるリアリズムの画で、北の海フィンランド辺の海の入江の雨後の感じが活きて居ります。フィンランド辺の海は真夏でもキラキラする海面の碧い反射はなくて、どちらかというと灰色っぽく浅瀬が遠く、低く松などあって、寂しさがある。波・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・長野市は中央がずっと傾斜をもった町で、横通りを見るといつも山が見え一種の情趣はもって居ます。 十月二十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 十月二十一日。 きょうは雨つづきの後の晴天で、珍しく川口さん夫妻が小さい・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・日本の春の美の一部がさっと本来の情趣をもって私の心を魅するであろう。〔一九二七年五月〕 宮本百合子 「塵埃、空、花」
・・・ 後年渡辺治衛門というあかじや銀行のもち主がそこを買いしめて、情趣もない渡辺町という名をつけ、分譲地にしたあたり一帯は道灌山つづきで、大きい斜面に雑木林があり、トロッコがころがったりしている原っぱは広大な佐竹ケ原であった。原っぱをめぐっ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・という文字が訴える情趣もそがれている。わたしは、惰性めいた微かな反撥の気分のまま、この赤い二つの文字も通りすぎてしまった。 たった一冊「春桃」と、今は、はっきり読める本を見た刹那、護国寺の本屋のことがすぐ思い浮んだ。全く違う好奇心を感じ・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・北極光の照らす深い北海の年々の集合所から真白い一匹の雄海豹のルカンノンが自分の躯にうずく希みにつき動かされて、海豹の群がまだ一度も潜ったことのない碧い水の洞をぬけて遠く遠く新しい浜辺を求めて行く冒険が情趣深く描かれている。 私たちの心に・・・ 宮本百合子 「山の彼方は」
・・・だが、この空と花との美しき情趣の中で、華やかな女のさざめきが微笑のように迫るなら、愛慾に落ちないものは石であった。このためここの白い看護婦たちは、患者の脈を験べる巧妙な手つきと同様に、微笑と秋波を名優のように整頓しなければならなかった。しか・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・画家はそこにある情趣を現わそうともくろみ、そのために必要な自然の一面を雇って来るのである。時にはこの目的のために、すでに古い昔に様式化された山や樹の描き方を、巧妙に利用しようとさえもする。これらの選択や利用が、すべて画家のある想念に――主と・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・そうしてそこには、確かに、我々の心の一角に触れる淡い情趣が生かされている。すなわち牧歌的とも名づくべき、子守歌を聞く小児の心のような、憧憬と哀愁とに充ちた、清らかな情趣である。氏はそれを半ばぼかした屋根や廂にも、麦をふるう人物の囲りの微妙な・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫