・・・苦しく、いきどおろしい人間理性否定の暗黒がすぎて、明るい光のさしそめるときになったが、過去十数年の惨澹たる傷あとは、日本の知性の上から、そう急に消え去らない。日本の現代文学の苦痛は、こんなに急なテムポで世界の歴史は前進しているのに、戦争中萎・・・ 宮本百合子 「序(『歌声よ、おこれ』)」
・・・ 武家時代に入ってからの婦人の生活というものは実にヘレネ以上の惨憺たるものであった。女性は美しければ美しいほど人質として悲惨だった。人質としてとられ、又媾和的なおくりものとして結婚させられる。戦国時代の婦人達の愛情とか人間性というものが・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・更に心をうたれるのは、日本文学のこの惨憺たる事実が、文学者自身の問題として十分自覚さえもされていないように見えることである。 文学は本質において一つのたつきの道ではない。私たち総てが、この数年来経つつある酸苦と犠牲とを、新しい歴史の展開・・・ 宮本百合子 「新日本文学の端緒」
・・・それがはじまりでこの人の一生は惨憺たるものとなった。祖母は、不良少年のようにしてしまった発端における自分の責任は理解出来ないたちの人であったから、やくざになった一彰さんばかりを家名ということで攻めたてた。親族会議だとか廃嫡だとか大騒ぎをした・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・学者たちが示したおどろくべき文学精神の喪失は、日本の野蛮な権力による文化圧殺の結果として見られるものであるけれども、兇悪な権力が出版企業と結合して、薄弱な日本文化・文学を底から掘りかえして来た過程は、惨憺たるものがある。「春桃」一巻は、・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・戦敗後のインフレーションと食糧危機に当って、その国の無産婦女子の生活が惨憺たるものにならなかった例は、ほとんど皆無であることを。 さらに、世界の現実は、はっきりと示している。一般失業問題が深刻化して来ると、その中でも女子失業者の日々は実・・・ 宮本百合子 「人間の道義」
・・・同時に、彼等が、平常思い切って出来ないことでも平気でやるほど女まで大胆になり、死を恐れない有様が、惨澹たる気持を与えた。一つとして、疲労で蒼ざめ形のくずれていない顔はないのに、気が立っている故か、自暴自棄の故か、此方の列車とすれ違うと、彼等・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・はっきり自分にもその惨憺さのわかる遣りなおしも、ただ時間とほか、考えられなく成って来たのです。或る状態の裡からあるがままの自己をひっさげて出て来さえすれば、精神を自由にすることが出来ると思い込みかけたところに、この期の致命な危険が隠されてい・・・ 宮本百合子 「われを省みる」
・・・老夫婦の受けた苦難はまことに惨憺たるものであったが、物語は特にその苦難を詳細に描いている。それは玉王の前に連れ出されたときの親子再会の喜びをできるだけ強烈ならしめるためであろう。しかも作者は、この再会の喜びをも、実に注意深く、徐々に展開して・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・美を装い艶を競うを命とする女、カラーの高さに経営惨憺たる男、吾人は面に唾したい、食を粗にしてフェザーショールを買う人がある。家庭を破壊してズボンの細きを追う人がある。雪隠に烟草を吹かし帽子の型に執着する子供を「人」たらしむべき教育は実に難中・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫