・・・この僅かなる慰安が珍々先生をして、洋服を着ないでもすむ半日を、唯うつうつとこの妾宅に送らせる理由である。已に「妾宅」というこの文字が、もう何となく廃滅の気味を帯びさせる上に、もしこれを雑誌などに出したなら、定めし文芸即悪徳と思込んでいる老人・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 物窮まれば転ず、親が子の死を悲しむという如きやる瀬なき悲哀悔恨は、おのずから人心を転じて、何らかの慰安の途を求めしめるのである。夏草の上に置ける朝露よりも哀れ果敢なき一生を送った我子の身の上を思えば、いかにも断腸の思いがする。しかし翻・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ショーペンハウエルの哲学は、この点で僕等の心理を捉え、孤独者の為に慰安の言葉を話してくれる。ショーペンハウエルの説によれば、詩人と、哲学者と、天才とは、孤独であるように、宿命づけられて居るのであって、且つそれ故にこそ、彼等が人間中での貴族で・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 病気で苦しいとき、体さえ自分で動かせないとき、看護婦のまめまめしくて、統制のあるたすけの手は、たとえようのない慰安です。そのために、日本の看護婦の過労は、もっともっとどうにかされなければならないと思います。どこの病院でも、看護婦は不足・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・家庭がドミトリーの慰安所であった。 ところが、革命が起った。ドミトリーの生涯は新しく、闘争と餓えとの間から萌え出した。プロレタリアート全戦列の前進とともに。 グラフィーラの生活は、ドミトリーのその急速な社会生活の拡大について、一緒に・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
チェホフやウェルサーエフや、現代ではカロッサ、これらの作家たちが医師であって同時に作家であったことは、彼等にとって比類のない仕合わせ、人類にとっては一つの慰安となっている。 彼等はいずれもそれぞれの時代、それぞれの形で・・・ 宮本百合子 「彼等は絶望しなかった」
・・・そして、こうやって一人自分のカンシャク姿に笑えるのは、やはり一つの慰安なのよ。こんな紙にこんなにかくと、何もかかないうち何と長々と、お軽の手紙のようになることでしょう。 小曲 小さな男の児が 大きい椅子の根っこで ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ そのような工場生活者の精神と肉体との組立てに対して、全く要素の異った詩吟というようなものが、どうして互によく調和し、休養と慰安と心の高まりと成り得るだろう。二つのものリズム・テンポの生理は、そもそもからちがっているのである。 今日・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
生粋の芸術的な作品が私たちに与える深い精神の慰安はどこから来るものなのだろうか。芸術作品の底からさして来る真の明るさというようなものは極めて複雑な光りであって、浅い形で云われる筋の楽天性だの、作家の気質ののびやかさなどにだ・・・ 宮本百合子 「作品のよろこび」
・・・「人間というものは、だんだん部分品になってゆくものだから、部分品が全部噛み合わさった状態における人間というようなことを考えるのは大へんな難事業ですから、部分品としての消閑慰安の具となれば、それだけで社会的使命を果すという考えかたが非常にある・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
出典:青空文庫