・・・ 飯沼は冷然と受け流してから、もう一度和田をふり返った。「誰だい、その友だちというのは?」「若槻という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか? 慶応か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・もち、商を営み農を兼ね些かの不自由もなく安楽に世を渡って来たが、彼の父新助の代となるや、時勢の変遷に遭遇し、種々の業を営んだが、事ごとに志と違い、徐々に産を失うて、一男七子が相続いで生れたあとをうけ、慶応三年六月十七日、第九番目の末子として・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ ごつ/\した、几帳面な藤井先生までが、野球フワンとなっていた。慶応贔屓で、試合の仲継放送があると、わざわざ隣村の時計屋の前まで、自転車できゝに出かけた。 五月一日の朝のことである。今時分、O市では、中ノ島公園のあの橋をおりて、赤い・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・ 荒された土地には依然として雑草が繁茂し、秋には、草は枯れ、そこは灰色に朽ち腐った。一〇 やがて親爺が死んだ。 慶応年間に村で生れた親爺は、一生涯麦飯を食って、栄養不良になることも、早く年を取り、もうろくすることもか・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
私は慶応三年七月、父は二十七歳、母は二十五歳の時に神田の新屋敷というところに生まれたそうです。其頃は家もまだ盛んに暮して居た時分で、畳数の七十余畳もあったそうです。併し世の中が変ろうというところへ生れあわせたので、生れた翌・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・先方は、横浜の船会社の御次男だとか、慶応の秀才で、末は立派な作家になるでしょうとか、いろいろ芹川さんから教えていただきましたけれど、私には、ひどく恐しい事みたいで、また、きたならしいような気さえ致しました。一方、芹川さんをねたましくて、胸が・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・ 慶応が勝つと銀座が荒らされ、早稲田が勝つと新宿が脅かされるという話も彼を考え込ませた。当時彼の読みかけていたウェルズのモダンユートピアに出てくるいわゆる「サムライ」はこういうスポーツには手をつけないことになっているが、それはこの著者の・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・ 根津権現の社頭には慶応四年より明治二十一年まで凡二十一年間遊女屋の在ったことは今猶都人の話柄に上る所である。小西湖佳話に曰く「湖北ノ地、忍ヶ岡ト向ヶ岡トハ東西相対ス。其間一帯ノ平坦ヲ成ス。中ニ花柳ノ一郭アリ。根津ト曰フ。地ハ神祠ニ因ツ・・・ 永井荷風 「上野」
雷門といっても門はない。門は慶応元年に焼けたなり建てられないのだという。門のない門の前を、吾妻橋の方へ少し行くと、左側の路端に乗合自動車の駐る知らせの棒が立っている。浅草郵便局の前で、細い横町への曲角で、人の込合う中でもその最も烈しく・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 静軒の文は天保に成ったもの、宕陰の記は慶応改元の春に作られたものである。宕陰が記の一節に曰く、「凡ソ墨堤十里、両畔皆桜ナリ。淡紅濃白、歩ムニ随テ人ニ媚ブ。遠キハ招クガ如ク近キハ語ラントス。間少シク曲折アリ。第一曲ヨリ東北ニ行クコト三、・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫