・・・われらみな十蔵二郎を救うことぞと思い、十蔵早くせよと叫び、戸口をきっと見て二人の姿の飛び出ずるをまちぬ。瓦降り壁落つ。われらみな樫の老木を楯にしてその陰にうずくまりぬ。四辺の家々より起こる叫び声、泣き声、遠かたに響く騒然たる物音、げにまれな・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 寝室の窓から、彼が来たことを見ていた三十すぎのユーブカをつけた女は戸口へ廻って内から掛金をはずした。「急ぐんだ、爺さんはいないか。」「おはいり。」 女は、居るというしるしに、うなずいて見せて、自分の身を脇の箱を置いてある方・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 高瀬は戸口に立って眺めていた。 無邪気な学生等は学士の机の周囲に集って、口を開くやら眼を円くするやらした。学士がそのコップの中へ鳥か鼠を入れると直ぐに死ぬという話をすると、それを聞いた生徒の一人がすっくと起立った。「先生、虫じ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・どうかするとある家の前で立ち留まって戸口や窓の方を見ることがあったが、間もなく、最初は緩々と、そのうちにまた以前のような早足になって、人々の群に付いて来たのである。その間老人は、いつも右の手をずぼんの隠しに入れて、その中にある貨幣を勘定して・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ウイリイは、その朝早く起きて窓の外を見ますと、家の戸口のまん前に、昨日までそんなものは何にもなかったのに、いつのまにか、きれいな小さな家が出来ていました。ふた親もおどろいて出て見ました。上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・けさ私は、岩風呂でないほうの、洋式のモダン風呂のほうへ顔を洗いに行って、脱衣場の窓からひょいと、外を見るとすぐ鼻の先に宿屋の大きい土蔵があってその戸口が開け放されているので薄暗い土蔵の奥まで見えるのですが、土蔵の窓から桐の葉の青い影がはいっ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・そうすると間もなく戸を叩くものがある。戸口から手が覗く。袖の金線でボオイだということが分かる。その手は包みを提げているのである。おれは大熱になった。おれの頭から鹿の角が生える。誰やらあとから追い掛ける。大きな帽子を被った潜水夫がおれの膝に腰・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・文明のどん底、東ロンドンの娼家の戸口から、意気でデスペラドのマッキー・メッサーが出てくる。その家の窓からおかみが置き忘れたステッキを突きだすのを、取ろうとすると、スルスルと仕込みの白刃が現われる。ドック近くの裏町の門々にたたずむ無気味な浮浪・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・宿の妻が虫籠や風鈴を吊すのもやはり便所の戸口近くである。草双紙の表紙や見返しの意匠なぞには、便所の戸と掛手拭と手水鉢とが、如何に多く使用されているか分らない。かくの如く都会における家庭の幽雅なる方面、町中の住いの詩的情趣を、専ら便所とその周・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・といい放って、つかつかと戸口にかかる幕を半ば掲げたが、やがてするりと踵を回らして、女の前に、白き手を執りて、発熱かと怪しまるるほどのあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上につけた。暁の露しげき百合の花弁をひたふるに吸える心地である。ランスロット・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫