・・・どっさり手桶が重ねてあった。せまい土間に、赤い紙を巻いた線香と、水にさしたしきみやその季節の花がすこしあって、一緒に行った大人が、お線香やしきみを、そこで買った。そして、西村氏と姓を書いて、矢車のすこし変形したような紋がついている手桶を出さ・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・そこへ相役の一人が供先から帰って真裸になって、手桶を提げて井戸へ水を汲みに行きかけたが、ふとこの小姓の寝ているのを見て、「おれがお供から帰ったに、水も汲んでくれずに寝ておるかい」と言いざまに枕を蹴った。小姓は跳ね起きた。「なるほど。目が・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・すぐに跡から小形の手桶に柄杓を投げ入れたのを持って出た。手桶からは湯気が立っている。先っきの若い男が「や、閼伽桶」と叫んだ。所謂閼伽桶の中には、番茶が麻の嚢に入れて漬けてあったのである。 この時玄関で見掛けた、世話人らしい男の一人が、座・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・ お豊さんは台所の棚から手桶をおろして、それを持ってそばの井戸端に出て、水を一釣瓶汲み込んで、それに桃の枝を投げ入れた。すべての動作がいかにもかいがいしい。使命を含んで来たご新造は、これならば弟のよめにしても早速役に立つだろうと思って、・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫