・・・ 実際にこういう空間曲線を作る事は厄介であるから、その代りにこの曲線をXZ面とYZ面に投射したものと二つを画いて調べる外はないのである。 こんなような考えから、私はいつぞや先ずこのXZ面の射影、すなわち唇の出方のいろいろと変る方だけ・・・ 寺田寅彦 「歌の口調」
・・・それで、おもしろいことには、劇や舞踊の現象自身は三次元空間的であるにかかわらず、観客の位置が固定しているためにその視像は実に二次元的な投射像に過ぎない。これに反して映画のほうでは、スクリーンの上の光像はまさしく二次元の平面であるにかかわらず・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・そういうぼやけたものを今度は週期的に一秒の何分の一の間隔をおいて投射し、それを人間の目でながめるのであるから、結果はただ全部が雑然としてごみ箱をひっくら返した上にとろろでも打ちまいたようなものになってしまう。もっともわざと焦点をはずした場合・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・これは映写機のモーターの唸音の中から格好な楽音だけをわれわれの耳に特有な抽出作用によって選び出し、そうして視覚から来る連想の誘引に応じてスクリーンの上に投射したものらしい。 最近にはまた上記のものとは種類のちがった珍しい錯覚を経験した。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 長い間縁の切れていた活動映画が再び自分の日常生活の上におりおり投射されるようになったのがつい近ごろのことである。飛行機から爆弾を投下する光景や繋留気球が燃え落ちる場面があるというので自分の目下の研究の参考までにと見に行ったのが「ウィン・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・その一つは心理的な側からするものであって、それは、暗示の力により、自分の期待するものの心像をそれに類似した外界の対象に投射するという作用によって説明される。枯れ柳を見て幽霊を認識する類である。もう一つの答解は物理的あるいはむしろ生理的音響学・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・劇中の人物に自己を投射しあるいは主人公を自分に投入することによって、その劇中人物が実際の場合に経験するであろうところの緊張とそれに次いで来るように設計された弛緩とを如実に体験すると同等の効果を満喫して涙を流しはなをすする、と同時に泣くことの・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・それで塵の層を通過して来た白光には、青紫色が欠乏して赤味を帯び、その代りに投射光の進む方向と直角に近い方向には、青味がかった色の光が勝つ道理である。遠山の碧い色や夕陽の色も、一部はこれで説明される。煙草の煙を暗い背景にあてて見た時に、青味を・・・ 寺田寅彦 「塵埃と光」
・・・一九一〇年の元旦にこの火山に登って湾を見おろした時には、やはりこの絵が眼前の実景の上に投射され、また同時に鴎外の「即興詩人」の場面がまざまざと映写されたのであった。 静物が一枚あった。テーブルの上に酒びん、葡萄酒のはいったコップ、半分皮・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・換言すれば事物に投射された潜在的国民思想の影像である。思うにかのチェホフやチャプリンの泣き笑いといえどもこの点ではおそらく同様であろう。このようにして和歌の優美幽玄も誹諧の滑稽諧謔も一つの真実の中に合流してそこに始めて誹諧の真義が明らかにさ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫