・・・けれども、人間の行い得る最高至純の懺悔の形式は、かのゲッセマネの園に於ける神の子の無言の拝跪の姿である、とするならば、オーガスチンの懺悔録もまた、俗臭ふんぷんということになるであろう。みな、だめである。ここに言葉の運命がある。 安心する・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・ 爾迦夷、則ち、両翼を開張し、虔しく頸を垂れて、座を離れ、低く飛揚して、疾翔大力を讃嘆すること三匝にして、徐に座に復し、拝跪して唯願うらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我等が為に、これを説きたまえ。ただ我等が為に、これを説き給えと。 疾・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・椿貞雄氏の『石橋のある景色』や、片多徳郎氏の『郊外にて』や、山脇信徳氏の『浮木に空』などは、自然の前に拝跪する心持ちのほかに、何の想念をも現わそうとしたものであるまい。しかし『慈悲光礼讃』という言葉をあてはめるならば、これらの画の方にはるか・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫