・・・これは空間的であるのみならず、またいくぶん時間的である点においていっそう映画に接近するのである。たとえば道成寺縁起という一つのテーマがあり、それの内容となるべきひとくさりのグロテスクでエロチックでまた宗教的なストーリーがある。絵巻物の画家は・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・下のほうからカメラを上向けに、対眼点を高くしてとったために三人の垂直線が互いに傾き合って天の一方に集中しようとした形に現われ、しかも三人の頭が画面の上端に接近しているのでいっそう不思議な効果を呈するのである。これが単にちょっと一風変わった構・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 十二 忠犬と猛獣 これも動物の芝居を見せる映画であるが、シェパードの芝居は象や馬の芝居に比べて、あまりにうま過ぎ、あまりに人間の芝居に接近し過ぎるので、感心するほうが先に立って純粋な客観的の興味はいくぶんそのために・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 道太はここにいてほしいような兄の気持は解ったけれど、一つ家に寝起きをしていれば、絶えず接近していなければならないし、人の出入りの多いのに、手数をかけるのも忍びないことであった。それに山でもそうだったように、看護や食べもののことについて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・これに依って、わたくしは栄子が遊廓に接近した陋巷に生れ育った事を知り、また廓内の女たちがその周囲のものから一種の尊敬を以て見られていた江戸時代からの古い伝統が、昭和十三、四年のその日までまだ滅びずに残っていた事を確めた。意外の発見である。殆・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・放水路の水と荒川の本流とは新荒川橋下の水門を境にして、各堤防を異にし、あるいは遠くなりあるいは近くなりして共に東に向って流れ、江北橋の南に至って再び接近している。 堤の南は尾久から田端につづく陋巷であるが、北岸の堤に沿うては隴畝と水田が・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・のぞき込む顔が接近して互の頬がすれ合うようになる。あたりは高座で噺家がしゃべる通り、ぐるぐるぐるぐる廻っていて、本所だか、深川だか、処は更に分らぬが、わたくしはとかくする中、何かにつまずきどしんと横倒れに転び、やっとの事娘に抱き起された。見・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・けれども二人の関係はそれ以上に接近する機会も企てもなく、ほとんど同じ距離で進行するのみにみえた。そうして二人ともそれ以上に何物をも求むる気色がなかった。要するに二人の間は、年長者の監督のもとに立つある少女と、まだ修業ちゅうの身分を自覚するあ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・ただ我輩の運命が彼ら二人の運命と漸々接近しつつあるは事実である。後を顧みてかの薄紫の貴女及びその妹の事とその門構付の家を想像し、前を見てこの貧困なるしかし正直なる二人の姉妹とその未来の楽園と予期しつつある格子戸作りを想像して、両者の差違を趣・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。 話が少し横へそれますが、ご存じの通り英吉利という国は大変自由を尊・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
出典:青空文庫