・・・また一日を空に過す…… 山査子の枝が揺れて、ざわざわと葉摺の音、それが宛然ひそめきたって物を云っているよう。「そら死ぬそら死ぬそら死ぬ」と耳の端で囁けば、片々の耳元でも懐しい面「もう見えぬもう見えぬもう見えぬ」「見えん筈じゃ、此様な・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ ギイギイと鎖の軋る音してさながら大濤の揺れるように揺れているその上を、彼女は自在に、ツツツ、ツツツとすり足して、腰と両手に調子を取りながら、何のあぶな気もなく微笑しながら乗り廻している。実際驚異すべき鮮かさである。私にはたんにそれが女学校・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・するとその部屋と崖との間の空間がにわかに一揺れ揺れた。それは女の姿がその明るい電灯の光を突然遮ったためだった。女が坐って盆をすすめると客のような男がぺこぺこ頭を下げているのが見えた。 石田はなにか芝居でも見ているような気でその窓を眺めて・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・と、やがて眼近い夾竹桃は深い夜のなかで揺れはじめるのであった。喬はただ凝視っている。――暗のなかに仄白く浮かんだ家の額は、そうした彼の視野のなかで、消えてゆき現われて来、喬は心の裡に定かならぬ想念のまた過ぎてゆくのを感じた。蟋蟀が鳴いていた・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・彼が歩くと薪の塚は崩れそうにゆさ/\と揺れた。「ちょっと手伝えよ、そんなに日向ぼっこばかりしとらんで。」後藤はスパイにからかった。「遊んどって月給が貰えるんだから、そんなべら棒な仕事はないだろう。」 スパイは苦笑した。「よいしょ・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・ 暫らくすると、再び森の樹枝が揺れ騒ぎだした。そして、足並の乱れた十頭ばかりの馬蹄の音が聞えて来た。日本軍に追撃されたパルチザンが逃げのびてきたのだ。 遠くで、豆をはぜらすような小銃の音がひびいた。 ドミトリー・ウォルコフは、乾・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ゆらりと一揺れ大きく船がよろめいた。海に出たのである。エンジンの音が、ここぞと強く馬力をかけた。本気になったのである。速力は、十五節。寒い。私は新潟の港を見捨て、船室へはいった。二等船室の薄暗い奥隅に、ボオイから借りた白い毛布にくるまって寝・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・焔が靡く度にそれがゆらゆらと揺れて何となく凄い。孕の鼻の陰に泊っている帆前船の舷燈の青い光が、大きくうねっている。岬の上には警報台の赤燈が鈍く灯って波に映る。何処かでホーイと人を呼ぶ声が風のしきりに闇に響く。 嵐だと考えながら二階を下り・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・風にゆれる野の草がさながら炎のように揺れて前方の小高い丘の丸山のほうへなびいて行く、その行く手の空には一団の綿雲が隆々と勢いよく盛り上がっている。あたかも沸き上がり燃え上がる大地の精気が空へ空へと集注して天上ワルハラの殿堂に流れ込んでいるよ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・手の長い猿共が山から山へ、森から森へ遊びあるいて、ある豁川にくると、何十匹の猿が手をつないで樹の枝からブラ下り、だんだん大きく揺れながら、むこうの崖にとびついて、それから他の猿どもを順々に渡してやるという話である。林はそれをもう本もみないで・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
出典:青空文庫