・・・つまり博士自身の信用の代りに医学の信用を抛棄したのである。 けれども当人の半三郎だけは復活祝賀会へ出席した時さえ、少しも浮いた顔を見せなかった。見せなかったのも勿論、不思議ではない。彼の脚は復活以来いつの間にか馬の脚に変っていたのである・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ 全く放棄されたこの家はただ僕一人の奮励いかんにあるのだが、第一に胸に浮ぶ問題は、「この月末をどうしよう?」 しかもそれがこの二、三日に迫っているのだ。 二四 あわてたところで、だめなものはだめだから、ま・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 書く方を放棄してから一週間余りにもなっていただろうか。その間に自分の生活はまるで気力の抜けた平衡を失したものに変わっていた。先ほども言ったように失敗が既にどこか病気染みたところを持っていた。書く気持がぐらついて来たのがその最初で、そう・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・『オヤいないのだよ』と去ってしまった、それから五分も経ったか、その間身動きもしないで東の森をながめていたが、月の光がちらちらともれて来たのを見て、彼は悠然立って着衣の前を丁寧に合わして、床に放棄ってあった鳥打ち帽を取るや、すたこらと梯子段を・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・翌日から自分は平時の通り授業もし改築事務も執り、表面は以前と少しも変らなかった、母からもまた何とも言って来ず、自分も母に手紙で迫る事すら放棄して了い、一日一日と無事に過ぎゆいた。 然し自分は到底悪人ではない、又度胸のある男でもない。され・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・大丈夫私は気を附けるが、お徳さんも盗られそうなものは少時でも戸外に放棄って置かんようになさいよ」「私はまアそんなことは仕ない積りだが、それでも、ツイ忘れることが有るからね、お前さんも屑屋なんかに気を附けておくれよ。木戸から入るにゃ是非お・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・それなら非決定的の自由とは思考ではなく、その放棄であろうか。 ニコライ・ハルトマンはこの点に触れて、カントの「積極的自由」の思想をあげて、その功績としている。カントは外の世界も、内の世界も徹頭徹尾因果律に支配されているとして、因果関連か・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・それを兄は、耳が聞えなくなったため放棄しなければならなかった。上等兵は、ここで自分までも上官の命令に従わなくって不具者にされるか、或は弾丸で負傷するか、殺されるか、――したならば、年がよってなお山伐りをして暮しを立てている親爺がどんなにがっ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・如何にも其様な悪びれた小汚い物を暫時にせよ被ていたのが癇に触るので、其物に感謝の代りに怒喝を加えて抛棄てて気を宜くしたのであろう。もっとも初から捨てさせるつもりで何処ぞで呉れ、捨てるつもりで被て来たには相違無いわびしいものであった。 少・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・となるは自然の理なり俊雄は秋子に砂浴びせられたる一旦の拍子ぬけその砂肚に入ってたちまちやけの虫と化し前年より父が預かる株式会社に通い給金なり余禄なりなかなかの収入ありしもことごとくこのあたりの溝へ放棄り経綸と申すが多寡が糸扁いずれ天下は綱渡・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫