・・・この意味では菊池寛も、文壇の二三子と比較した場合、必しも卓越した芸術家ではない。たとえば彼の作品中、絵画的効果を収むべき描写は、屡、破綻を来しているようである。こう云う傾向の存する限り、微細な効果の享楽家には如何なる彼の傑作と雖も、十分の満・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
僕の知れる江戸っ児中、文壇に縁あるものを尋ぬれば第一に後藤末雄君、第二に辻潤君、第三に久保田万太郎君なり。この三君は三君なりにいずれも性格を異にすれども、江戸っ児たる風采と江戸っ児たる気質とは略一途に出ずるものの如し。就中・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・今日の文壇には彼らのほかにべつに、自然主義者という名を肯じない人たちがある。しかしそれらの人たちと彼らとの間にはそもそもどれだけの相違があるのか。一例を挙げるならば、近き過去において自然主義者から攻撃を享けた享楽主義と観照論当時の自然主義と・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
一 最近数年間の文壇及び思想界の動乱は、それにたずさわった多くの人々の心を、著るしく性急にした。意地の悪い言い方をすれば、今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」という言葉の意味は、「性急なる」とい・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・いわゆる文壇餓殍ありで、惨憺極る有様であったが、この時に当って春陽堂は鉄道小説、一名探偵小説を出して、一面飢えたる文士を救い、一面渇ける読者を医した。探偵小説は百頁から百五十頁一冊の単行本で、原稿料は十円に十五円、僕達はまだ容易にその恩典に・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・当時の文壇の唯一舞台であった『読売新聞』の投書欄に「蛙の説」というを寄稿したのはマダ東校に入学したばかりであった。当時の大学は草創時代で、今の中学卒業程度のものを収容した。殊に鴎外は早熟で、年齢を早めて入学したからマダ全くの少年だった。が、・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。 修善寺時代以後の夏目さんは余り往訪外出はされなかったようである。その当時、私の家に来られたことがあるが、「一カ月ぶりで他家を訪ねた」と言われた。その頃は多分痔を療治してい・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・ 現時文壇の批評のあるもの、作品のあるものは、作者が筆を執っている時に果して自己を偽っていないか、世俗的観念が入っていないか疑わざるを得ない。斯くの如き批評や作品に人を動かす力の足らないのは当然である。既に形式的に出来上っているところの・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・とは、いうもの、この間、街頭の響きから、人間との接触から、そこに感じられた複雑な人生の幾多の変遷と推移が、文壇の上にも、もしくは、他の社会の上にもあったことを考え出さずにはいられません。私自身にとっても、憧憬、煩悶、反抗、懐疑、信仰、いろ/・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・しかし、文壇にしても相当怪しい会話を平気で書いている作家が多く、そのエスプリのなさは筆蹟と同じで、どうにもなおし難いものかも知れない。 文壇で、女の会話の上品さを表現させたら、志賀直哉氏の右に出るものがない。が、太宰治氏に教えられたこと・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫