・・・軽部は小柄なわりに顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのしかかっていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔と己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、何がなしいい気持はしなかった。・・・ 織田作之助 「雨」
・・・おまけに文楽の人形芝居で使うような可愛らしいお櫃である。見渡すと、居並ぶ若い娘たちは何れもしるこやぜんざいなど極めて普通の、この場に適しいものを食べている。私一人だけが若い娘たちの面前で、飯事のようにお櫃を前にして赧くなっているのだ。クスク・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ どうせ文楽の広告ビラだろうくらいに思い、懐手を出すのも面倒くさく、そのまま行き過ぎようとして、ひょいと顔を見ると、平べったい貧相な輪郭へもって来て、頬骨だけがいやに高く張り、ぎょろぎょろ目玉をひからせているところはざらに見受けられる顔・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・そして並んで四ツ橋を渡り、文楽座の表まで来ると、それまでむっと黙っていた彼女は、疳高い早口の声で、「こんど店へ来はったら、一ぺん一緒に寝まひょな」とぐんと肩を押しながら赧い顔もせずに言った。心斎橋筋まで来て別れたが、器用に人ごみの中をか・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 私がこの他アやんを見舞ったのは、確か「復活する文楽」という記事が新聞に出ていた日のことであった。文楽は小屋が焼け人形衣裳が焼け、松竹会長の白井さんの邸宅や紋下の古靱太夫の邸宅にあった文献一切も失われてしまったので、もう文楽は亡びてしま・・・ 織田作之助 「起ち上る大阪」
・・・はっきり言えば、その反対だ。文楽へ連れてってやるとのことで、約束の時間に四ツ橋の文楽座の前へ出掛けたところ、文楽はもう三日前に千秋楽で、小屋が閉っていた。ひとけのない小屋の前でしょんぼり佇んで、あの人の来るのを待った。約束の時間はとっくに来・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・そう言って自分から語りだしたのは、近ごろ京の町に見た人形という珍妙なる強請が流行っているそうな、人形を使って因縁をつけるのだが、あれは文楽のからくりの仕掛けで口を動かし、また見たなと人形がもの言うのは腹話術とかいうものを用いていることがだん・・・ 織田作之助 「螢」
・・・なお、文楽で科白が地の文に融け合う美しさに陶然としていたので会話をなるべく地の文の中に入れて、全体のスタイルを語り物の形式に近づけた。更に言えば、戯曲の一幕はたいてい三十分か一時間を克明にうつすので時間的に窮屈極まる。そこで、小説では場面場・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・ これは、画の話ではありませんが、先日、新橋演舞場へ文楽を見に行きました。文楽は学生時代にいちど見たきりで、ほとんど十年振りだったものですから、れいの栄三、文五郎たちが、その十年間に於いて、さらに驚嘆すべき程の円熟を芸の上に加えたであろ・・・ 太宰治 「炎天汗談」
・・・ 見なれた人にはなんでもない物事に対する、これを始めて見た人の幼稚な感想の表現には往々人をして破顔微笑せしめるものがあるのである。 文楽の人形芝居については自分も今まで話にはいろいろ聞かされ、雑誌などでいろいろの人の研究や評論などを・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
出典:青空文庫