・・・日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられて来たこの災難教育であったかもしれない。もしそうだとすれば、科学の力をかりて災難の防止を企て、このせっかくの教育の効果をいくぶんでも減殺しようとするのは考・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・昔の小学校の先生などとちがってあまりに立派な教育者としての素養があり過ぎるために、またその上に文部省の監督があまりに行き届き過ぎるために教場における授業が窮屈で煩瑣な鋳型にはいってしまって、その結果は自由に広大であるべきものを極端に制限して・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・中学校に進んで、一、二年の間はその頃新に文部省で編纂した英語読本が用いられていたが書名は今覚えていない。この読本は英国人の教師が生徒の発音を正しくするために用いたので、訳読には日本人の教師が別の書物を用いた。その中で記憶に残っているものは、・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ わたくしの父は、生前文部省の役人で一時帝国大学にも関係があったので、わたくしは少年の頃から学閥の忌むべき事や、学派の軋轢の恐るべき事などを小耳に聞いて知っていた。しかしこれは勿論わたくしが三田を去った直接の原因ではない。わたくしの友人・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
中学には中学の課目があり、高等学校には高等学校の課目があって、これを修了せねば卒業の資格はないとしてある。その課目の数やその按排の順は皆文部省が制定するのだから各担任の教師は委託をうけたる学問をその時間の範囲内において出来・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・あれは文部省が悪いのかも知れない。虎列剌病博士とか腸窒扶斯博士とか赤痢博士とかもっと判然と領分を明らかにした方が善くはないかと思う。肺病患者が赤痢の論文を出して博士になった医者の所へ行ったって差支はないが、その人に博士たる名誉を与えたのは肺・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・局長は余に文部省の意志を告げ、余はまた局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合って別れた。 翌十二日に至って、福原局長は文部省の意志を公けにするため、余に左の書翰を送った。実は二カ月前に、余が局長に差出し・・・ 夏目漱石 「博士問題の成行」
・・・かつて文部省の展覧会の審査員の某氏に会った時、日本の絵画も近頃は大分上手になりましたといったら、その人は文部省の展覧会が出来てから大変好くなりましたと答えた。日本の絵画の年々進歩するのは争うべからざる事実ではあるが、その原因を某氏のように一・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・ 松山から熊本の高等学校の教師に転じて、そこでしばらくいて、後に文部省から英国へ留学を命ぜられて、行って帰って来て、今は大学と一高と明治大学との講師をやっている。なかなか忙しいんだよ。 落語か。落語はすきで、よく牛込の肴町の和良店へ・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・言はばニイチェは、師匠の仇敵を討つた勇士のやうなものである。文部省の教科書でも、ニイチェは大に賞頌して書かれねばならない。 最後に、僕自身のことを話さう。僕はショーペンハウエルから多くを学んだ。僕の第二詩集「青猫」は、その惑溺の最中・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
出典:青空文庫