・・・折り目の正しい白ズボンに白靴をはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めに靡いている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の目を信じなかった。が、両手にさわって見ると、実際両脚とも、腿から下は空気を掴むのと同じことである。半三郎はと・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・林大嬌はちょっと顔をしかめ、斜めに彼の手を押し戻した。彼は同じ常談を何人かの芸者と繰り返した。が、そのうちにいつの間にか、やはり愛想の好い顔をしたまま、身動きもしない玉蘭の前へ褐色の一片を突きつけていた。 僕はちょっとそのビスケットのだ・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 内地ならば庚申塚か石地蔵でもあるはずの所に、真黒になった一丈もありそうな標示杭が斜めになって立っていた。そこまで来ると干魚をやく香がかすかに彼れの鼻をうったと思った。彼れははじめて立停った。痩馬も歩いた姿勢をそのままにのそりと動かなく・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・世界貿易の中心点が太平洋に移ってきて、かつて戈を交えた日露両国の商業的関係が、日本海を斜めに小樽対ウラジオの一線上に集注し来らむとする時、予がはからずもこの小樽の人となって日本一の悪道路を駆け廻る身となったのは、予にとって何という理由なしに・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ 本堂正面の階に、斜めに腰掛けて六部一人、頭より高く笈をさし置きて、寺より出せしなるべし。その廚の方には人の気勢だになきを、日の色白く、梁の黒き中に、渠ただ一人渋茶のみて、打憩ろうていたりけり。 その、もの静に、謹みたる状して俯向く・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 犬張子が横に寝て、起上り小法師のころりと坐った、縁台に、はりもの板を斜めにして、添乳の衣紋も繕わず、姉さんかぶりを軽くして、襷がけの二の腕あたり、日ざしに惜気なけれども、都育ちの白やかに、紅絹の切をぴたぴたと、指を反らした手の捌き、波・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・それでも時には、前の坊主山の頂きが白く曇りだして、羽毛のような雪片が互いに交錯するのを恐れるかのように条をなして、昼過ぎごろの空を斜めに吹下ろされた。……「これだけの子供もあるというのに、あなたは男だから何でもないでしょうけれど、私には・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・あげて歌うもわがために耳傾くるは大空の星のみ――月さゆる夜は風清し、はてなき海に帆を揚げて――ああ君はこの歌を知りたもうや――月さゆる夜は風清し――右を見るも左を見るも島影一つ見えぬ大海原に帆を揚げ風斜めに吹けば船軽く傾き月さえにさえて波は・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 爪先あがりの小径を斜めに、山の尾を横ぎって登ると、登りつめたところがつの字崎の背の一部になっていて左右が海である、それよりこの小径が二つに分かれて一は崎の背を通してその極端に至り一は山のむこうに下りてなの字浦に出る。この三派の路の集ま・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・夕陽が向う側の監獄の壁を赤く染めて、手前の庭の半分に、煉瓦建の影を斜めに落していた。――それは日が暮れようとして、しかもまだ夜が来ていない一時の、すべてのものがその動きと音をやめている時だった。私はそのなごやかな監獄風景を眺めながら、たゞお・・・ 小林多喜二 「独房」
出典:青空文庫