・・・「これは日本一の黍団子だ。」 桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪しかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。「一つ下さい。お伴しましょう。」 桃太郎は咄・・・ 芥川竜之介 「桃太郎」
・・・ 札幌に入って、予は初めて真の北海道趣味を味うことができた。日本一の大原野の一角、木立の中の家疎に、幅広き街路に草生えて、牛が啼く、馬が走る、自然も人間もどことなく鷹揚でゆったりして、道をゆくにも内地の都会風なせせこましい歩きぶりをしな・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ 再び、名もきかぬ三味線の音が陰々として響くと、――日本一にて候ぞと申しける。鎌倉殿ことごとしや、何処にて舞いて日本一とは申しけるぞ。梶原申しけるは、一歳百日の旱の候いけるに、賀茂川、桂川、水瀬切れて流れず、筒井の水も絶えて、国・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ おれは変にうれしくなってしまい、「日本一の霊灸! 人ダスケ! どんな病気もなおして見せる。▽▽旅館へ来タレ」とチラシの字にも力がこもった。チラシが出来上がると、お前はそれを持ってまわり、村のあちこちに貼りつけた。そして散髪屋、雑貨屋、・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 拝殿の前まで来ると、庄之助は賽銭を投げて、寿子に、「日本一のヴァイオリン弾きになれますようにと、お祈りするんだぞ」 と、言った。 寿子は言われた通り、小さな手を合わせて、「日本一のヴァイオリン弾きになれますように」・・・ 織田作之助 「道なき道」
私は奈良にT新夫婦を訪ねて、一週間ほど彼らと遊び暮した。五月初旬の奈良公園は、すてきなものであった。初めての私には、日本一とも世界一とも感歎したいくらいであった。彼らは公園の中の休み茶屋の離れの亭を借りて、ままごとのような理想的な新婚・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・ それですから自然と若い者の中でも私が一番巧いということになり、老先生までがほんとに稽古すれば日本一の名人になるなどとそそのかしたものです。そのうち十九になりました。ちょうど春の初めのことでございます。日の暮方で、私はいつもの通り、尺八・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・二十一で本を書いて、それが石川啄木という大天才の書いた本よりも、もっと上手で、それからまた十何冊だかの本を書いて、としは若いけれども、日本一の詩人、という事になっている。おまけに大学者で、学習院から一高、帝大とすすんで、ドイツ語フランス語、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・たい、深山幽谷のいぶきにしびれるくらい接してみたい、頃日、水族館にて二尺くらいの山椒魚を見て、それから思うところあってあれこれと山椒魚に就いて諸文献を調べてみましたが、調べて行くうちに、どうにかして、日本一ばん、いや日本一ばんは即ち世界一ば・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・すすめられるままに、ただ阿呆のように、しっかりビイルを飲んで、そうして長押の写真を見て、無礼極まる質問を発して、そうして意気揚々と引上げて来た私の日本一の間抜けた姿を思い、頬が赤くなり、耳が赤くなり、胃腑まで赤くなるような気持であった。・・・ 太宰治 「佳日」
出典:青空文庫