・・・が、年若な求馬の心は、編笠に憔れた顔を隠して、秋晴れの日本橋を渡る時でも、結局彼等の敵打は徒労に終ってしまいそうな寂しさに沈み勝ちであった。 その内に筑波颪しがだんだん寒さを加え出すと、求馬は風邪が元になって、時々熱が昂ぶるようになった・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・我々は露柴を中にしながら、腥い月明りの吹かれる通りを、日本橋の方へ歩いて行った。 露柴は生っ粋の江戸っ児だった。曾祖父は蜀山や文晁と交遊の厚かった人である。家も河岸の丸清と云えば、あの界隈では知らぬものはない。それを露柴はずっと前から、・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・前には日本橋に居りましたくらいな事は、云っていないものじゃない。 すると、向うから声をかけた。「ずいぶんしばらくだわねえ。私がUにいる時分にお眼にかかった切りなんだから。あなたはちっともお変りにならない。」なんて云う。――お徳の奴め、も・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・――場所に間違いはなかろう――大温習会、日本橋連中、と門柱に立掛けた、字のほかは真白な立看板を、白い電燈で照らしたのが、清く涼しいけれども、もの寂しい。四月の末だというのに、湿気を含んだ夜風が、さらさらと辻惑いに吹迷って、卯の花を乱すばかり・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・「いや、その真中ほどです……日本橋の方だけれど、宴会の席ばかりでの話ですよ。」「お処が分かって差支えがございませんければ、参考のために、その場所を伺っておきたいくらいでございまして。……この、深山幽谷のことは、人間の智慧には及びませ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・夫人 何ですか、もう……――あの、貴方、……前は、貴方が、西洋からお帰り時分、よく、お夥間と御贔屓を遊ばして、いらしって下さいました、日本橋の……――お忘れでございますか、お料理の、ゆかりの娘の、縫ですわ。画家 ああ、そうですか。お・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 椿岳の名は十年前に日本橋の画博堂で小さな展覧会が開かれるまでは今の新らしい人たちには余り知られていなかった。展覧会が開かれても、案内を受けて参観した人は極めて小部分に限られて、シカモ多くは椿岳を能く知ってる人たちであったか・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 博文館が此の揺籃地たる本郷弓町を離れて日本橋の本町――今の場所では無い、日本銀行の筋向うである――に転じたのは、之より二年を経たる明治二十二年であったと記憶する。博文館の活動は之から以後一層目鮮しかったので、事毎に出版界のレコードを破・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・電車の便利のない時分、向島へ遊びに行って、夕飯を喰いにわざわざ日本橋まで俥を飛ばして行くという難かし屋であった。 その上に頗る多食家であって、親しい遠慮のない友達が来ると水菓子だの餅菓子だのと三種も四種も山盛りに積んだのを列べて、お客は・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・が、浜子は私たちをその前まで連れて行ってはくれず、ひょいと日本橋一丁目の方へ折れて、そしてすぐ掛りにある目安寺の中へはいりました。そこは献納提灯がいくつも掛っていて、灯明の灯が揺れ、線香の火が瞬き、やはり明るかったが、しかし、ふと暗い隅が残・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫