・・・そこでとうとう盗人のように、そっと家の中へ忍びこむと、早速この二階の戸口へ来て、さっきから透き見をしていたのです。 しかし透き見をすると言っても、何しろ鍵穴を覗くのですから、蒼白い香炉の火の光を浴びた、死人のような妙子の顔が、やっと正面・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・求馬は早速公の許を得て、江越喜三郎と云う若党と共に、当時の武士の習慣通り、敵打の旅に上る事になった。甚太夫は平太郎の死に責任の感を免れなかったのか、彼もまた後見のために旅立ちたい旨を申し出でた。と同時に求馬と念友の約があった、津崎左近と云う・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・「お話しなさい。」「難有う、」「さあ、こちらへ。」「はい、誠にどうも難有う存じます、いいえ、どうぞもう、どうぞ、もう。」「早速だ、おやおや。」「大分丁寧でございましょう。」「そんな皮肉を言わないで、坊やは?」・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ と断って……早速ながら穿替えた、――誰も、背負って行く奴もないものだが、手一つ出すでもなし、口を利くでもなし、ただにやにやと笑って見ているから、勢い念を入れなければならなかったので。……「お幾干。」「分りませんなあ。」「誰・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・「わたし休まなくとも、ようございますが、早速お母さんの罰があたって、薄の葉でこんなに手を切りました。ちょいとこれで結わえて下さいな」 親指の中ほどで疵は少しだが、血が意外に出た。僕は早速紙を裂いて結わえてやる。民子が両手を赤くしてい・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・此気分のよいところで早速枕に就くこととする。 強いて頭を空虚に、眼を閉じてもなかなか眠れない、地に響くような波の音が、物を考えまいとするだけ猶強く聞える。音から聯想して白い波、蒼い波を思い浮べると、もう番神堂が目に浮んでくる。去年は今少・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・あす、早速うちまで来てもらいたい」 こう言って、父は帰って行った。 妻が痩せたのを連想するせいか、父も痩せていたようだし、今、相対する母もまた頬が落ちている。僕は家族にパンを与えないで、自分ばかりが遊んでいたように思えた。 僕の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その頃どこかの気紛れの外国人がジオラマの古物を横浜に持って来たのを椿岳は早速買込んで、唯我教信と相談して伝法院の庭続きの茶畑を拓き、西洋型の船に擬えた大きな小屋を建て、舷側の明り窓から西洋の景色や戦争の油画を覗かせるという趣向の見世物を拵え・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と、興奮に近いものを感じながら、早速これを求めることがある。よく、こうした例は、屡々青年時代にあったことで、丸善の店頭などで、日頃名をきいている欧米の作家や、批判家の最新の著書を見出すと、これを読めば、明日からでも、自分の見識が変るような気・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・不断は御無沙汰ばかりしているくせに、自分の用があると早速こうしてねえ、本当に何という身勝手でしょう」「まあこちらへお上んなさいよ、そこじゃ御挨拶も出来ませんから」「ええ、それじゃ御免なさいましよ、御遠慮なしに」とお光の後について座敷・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫