・・・常春藤の簇った塀の上には、火の光もささない彼の家が、ひっそりと星空に聳えている。すると陳の心には、急に悲しさがこみ上げて来た。何がそんなに悲しかったか、それは彼自身にもはっきりしない。ただそこに佇んだまま、乏しい虫の音に聞き入っていると、自・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・すると御主人は簾越しに、遠い星空を御覧になりながら、「お前が都へ帰ったら、姫にも歎きをするよりは、笑う事を学べと云ってくれい。」と、何事もないようにおっしゃるのです。「わたしは都へは帰りません。」 もう一度わたしの眼の中には、新・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・降るような星空を想った。清浄な空気に渇えた。部屋のどこからも空気の洩れるところがないということが、ますます息苦しく胸をしめつけた。明けはなたれた窓にあこがれた。いきなりシリウス星がきらめいた。私ははっと眼をあけた。蜘蛛の眼がキラキラ閃光を放・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 降るような星空を仰いで、白崎は呟いた。「ほんまに、そやなア」 赤井は隊の外へ出ると、大阪弁が出た。「――しやけど、脱走したら非国民やなア」「うん。しかし、蓄音機の前で浪花節を唸ったり逆立ちをしたり、徴発に廻ったりするの・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・降るような星空だ。月が出て動く。星もいつか動く。と見る間に南極の空が浮びあがって、星の世界一周が始まったのだ。 などとこんな説明で、その浪慢的な美しさは表現できぬ。われを忘れて仰いでいると、あろうことか、いびきの音がきこえて来た。団体見・・・ 織田作之助 「星の劇場」
・・・ 赤児の泣声はいつか消えようとせず、降るような夏の星空を火の粉のように飛んでいた。じっと聴きいっていた登勢はきゅうにはっと起き上ると、蚊帳の外へ出た。そして表へ出ると、はたして泣声は軒下の暗がりのなかにみつかった。捨てられているのかと抱・・・ 織田作之助 「螢」
・・・空は美しい星空で、その下にウィーンの市が眠っている。その男はしばらくその夜景に眺め耽っていたが、彼はふと闇のなかにたった一つ開け放された窓を見つける。その部屋のなかには白い布のような塊りが明るい燈火に照らし出されていて、なにか白い煙みたよう・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・戸を鎖し眠りに入っている。星空の下に、闇黒のなかに。彼らはなにも知らない。この星空も、この闇黒も。虚無から彼らを衛っているのは家である。その忍苦の表情を見よ。彼は虚無に対抗している。重圧する畏怖の下に、黙々と憐れな人間の意図を衛っている。・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ 二重硝子の窓の外には、きつきつたる肌ざわりの荒い岩のような、黒竜江の結氷が星空の下に光っていた。 番小屋は、舟着場から、約一露里上流にあって建てられていた。夏は、対岸から、踵の高い女の白靴や、桜色に光沢を放っている、すき通るような・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・私は窓を開け放ち、星空を眺めながら、五杯も六杯も葡萄酒を飲んだ。ぐるぐる眼が廻って、ああ、星が降るようだ。そうだ。あの人はきっと決闘を見に来る。私達のうしろについて来る。見に来たらば、女房を殺してあげると私は先刻言ったのだから。あの人は樹の・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫