・・・青扇は縁先に立って澄んだ星空の一端が新宿辺の電燈のせいで火事のようにあかるくなっているのをぼんやり見ていた。僕は思い出した。はじめから青扇の顔をどこかで見たことがあると気にかかっていたのだが、そのときやっと思い出した。プーシュキンではない。・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・テントの布地が足りなかったのであろう、小屋の天井に十坪ほどのおおきな穴があけっぱなしにされていて、そこから星空が見えるのだ。 くろんぼの檻が、ふたりの男に押されて舞台へ出た。檻の底に車輪の脚がついているらしくからからと音たてて舞台へ滑り・・・ 太宰治 「逆行」
・・・『勝利者』と、うっとりつぶやいて星空を見あげていました。突然、くすりがきいてきて、女は、ひゅう、ひゅう、と草笛の音に似た声を発して、くるしい、くるしい、と水のようなものを吐いて、岩のうえを這いずりまわっていた様子で、私は、その吐瀉物をあとへ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・やはり人造でもマーブルか、乳色ガラスのテーブルの上に銀器が光っていて、一輪のカーネーションでもにおっていて、そうしてビュッフェにも銀とガラスが星空のようにきらめき、夏なら電扇が頭上にうなり、冬ならストーヴがほのかにほてっていなければ正常のコ・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・そうして河向いの高い塀の曲り角のところの内側に塔のような絞首台の建物の屋根が少し見えて、その上には巨杉に蔽われた城山の真暗なシルエットが銀砂を散らした星空に高く聳えていたのである。 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・その声が寒い星空に突き抜けるような気がした。声の主は年の行かない女の子らしかった。それの通る時刻と前後して隣の下宿の門の開く鈴音がして、やがて窓の下から自分を呼びかける同郷の悪友TとMの声がしたものである。悪友と言っても藪蕎麦へ誘うだけの悪・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ こう言って、しきりに星空に祈っているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳にはいりました。シグナルはぎょっとしたように胸を張って、しばらく考えていましたが、やがてガタガタふるえだしました。 ふるえながら言いました。「・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
丘をはさんで点綴するくさぶき屋の低い軒端から、森かげや小川の岸に小さく長閑に立っている百姓小舎のくすぶった破風から晴れた星空に立ちのぼってゆく蚊やりの煙はいかにも遠い昔の大和民族の生活を偲ばせるようで床しいものです。此の夏・・・ 宮本百合子 「蚊遣り」
・・・夜は、星空をサーチライトの光が青白く、幅ひろく動いていました。今年の春のお祭りには、お母さんも丁度終りの日から御上京でしたから、お詣りもなさり、いろいろ珍しいものも御覧になりました。あのときは日光見物にいらした汽車のなかにも胸にしるしをつけ・・・ 宮本百合子 「二人の弟たちへのたより」
出典:青空文庫